では、元祖・日本人メジャーリーガーの場合はどうだったのか? 野茂よりも30年以上早く、1964年にジャイアンツで日本人としては初めてメジャーの舞台に立った“マッシー”こと村上雅則。彼は、メジャーリーグの歴史でも屈指のパーフェクトプレーヤーと称される13歳上の黒人選手、ウイリー・メイズにことのほか可愛がられた。

「メイズは誕生日が私と一緒なんですよ(5月6日)。それにその頃(メジャー1年目)、私はまだ20歳でしょ? だから可愛がってくれたんじゃないかな」

 メジャー2年目の1965年にはメイズのホームパーティーに招かれ、そこでカフスボタンをプレゼントされて、いたく感激したこともあったという。村上はもともと“野球留学”の形で南海(現在のソフトバンク)から派遣されており、1966年には南海に復帰。メイズは通算660本塁打の記録を残して引退し、1979年には殿堂入りするのだが、その後も2人の親交は続いている。

「ウイリーが80歳になった時には、誕生日プレゼントとして日本から湯呑を持って行ったこともあります。その後、何年かしてまた家に遊びに行ったら、バーカウンターのところにその湯呑を飾ってくれてましてね。『マッシーの湯呑み、ここにあるぞ』って」

 2年前に渡米した際にもワインを持参して自宅を訪問したというが、メイズは今年で90歳。村上もコロナ禍のここ2年は渡米できずにいる。それでも──。

「ウイリーは今もサンフランシスコに住んでいるんですよ。来年はロサンゼルスでオールスターがあるので、もし渡米できるならまた会いに行きたいですね」

 日本人メジャーリーガーの元祖とメジャーリーグの生きる伝説。世代も人種も超え、50年以上に及ぶ2人の友情は、 生涯続きそうである。(文中敬称略)

(文・菊田康彦)

●プロフィール
菊田康彦
1966年生まれ。静岡県出身。大学卒業後、地方公務員、英会話講師などを経てフリーライターに転身。2004~08年『スカパーMLBライブ』、16~17年『スポナビライブMLB』出演。プロ野球は10年からヤクルトの取材を続けている。

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