野手でいえば、巨人からFAでヤンキースに入団した松井秀喜と、チームの象徴的存在であったデレク・ジーターの絆が印象に残る。ジーターは同い年ながらも自分より誕生日が2週間早い松井を日本語で「年寄り」などとイジりつつ、その献身的なプレースタイルに敬意を抱いていた。松井もまた、ジーターの類いまれなリーダーシップに絶大な信頼を置いていた。

 当時のヤンキースは1990年代後半から続く黄金期にあり、松井が在籍した7年間でもポストシーズンに6回進出。2009年のワールドシリーズでは、キャプテンのジーターがリードオフマンとして打率.407をマークすれば、松井は打率.615、3本塁打でシリーズMVPに輝くなど、チームを9年ぶりの“世界一”に導いている。

 その2009年を最後に松井がヤンキースを去っても、2人の絆が消えることなかった。ジーターは引退翌年の2015年、松井の故郷・石川県を訪問。自らが設立したスポーツメディア『ザ・プレーヤーズ・トリビューン』に寄稿した記事に「彼(松井)と一緒に“ありきたり”な時間を過ごしました。でもそこに、大きな意味があったのです」と記している。松井も同メディアで、ジーターの訪問について「私にとっても生涯忘れられない彼との貴重な思い出となったのです」と語っている。

 広島からFAでドジャース入りした黒田博樹と、メジャーを代表するサウスポーとなったクレイトン・カーショウの友情も、よく知られている。黒田が海を渡った2008年、13歳下のカーショウもメジャーデビュー。共に“ルーキー”の2人はキャッチボールのパートナーとなり、ピッチングについてたびたび話し合うようになっただけでなく、プライベートで食事を共にし、プレゼントも贈り合う仲になっていった。

 黒田は2011年オフにFAとなり、翌年はヤンキースに移籍。彼の著書『決めて断つ』によれば、2011年シーズン終盤のミーティングで「ドジャースに残ってほしい」と訴えるカーショウの言葉に、感極まって涙したこともあったという。

 2015年に広島に復帰した黒田は、翌2016年に日米通算200勝を達成し、チームの25年ぶりセ・リーグ制覇に貢献したのを置き土産に、現役を引退する。2017年5月には、ドジャースタジアムを訪れてカーショウに引退を報告。2人はそこで“最後”のキャッチボールを行っている。

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