■国民の理解得られない

 表情が映ったのは眞子さまだけだった。それでも明るいのは佳子さまの方だとわかった。手を振る佳子さまの背中から伝わってきたニコニコ感。眞子さまは会釈だけで手も振らず、マスクで覆われた顔からは、感情が伝わってこなかった。

 眞子さま、笑ってはいけないと思っているのだろうか。PTSDのことは知らなかったが、そう思った。国民に理解されない結婚をするから、笑わない。そう決めたのなら、つらすぎる。切ない映像だと思った。

 小室さんが今年4月、母と元婚約者の「金銭トラブル」を説明する文書を公表した。眞子さまもその作成にかかわったと宮内庁が明かし、眞子さまの「経緯を理解してくださればありがたい」というコメントも公表された。これが一部メディアによる「眞子さま批判」の引き金を引いたように見える。

 何度も書いてきたことだが、眞子さまが結婚を強く望んだのは小室さんへの愛に加え、「皇室を出たい」気持ちがあったからだと思っている。が、その結婚は国民の理解を得られない。だから儀式もせず、一時金も受け取らない決断をした。

 だが、まだ眞子さまは皇族だ。宮中祭祀には参列するし、9月30日から10月17日までの「国際陶磁器フェスティバル美濃」の名誉総裁も務める。国民から見られることもある。だが、笑わない。つまり、心は開かない。

■揺らぐ信頼関係

 国民を信頼することを、やめたということだと思った。信じてくれない相手を信じるのは大変なことだから、当然の帰結かもしれない。取材を無視し、前だけを見ていた小室さんの映像とあわせ、そう感じた。

 これはもう眞子さまと小室さんだけの問題ではない。そう思えてくる。国民が皇族を信頼して、皇室制度は成り立っている。だが、その信頼は簡単に揺らぐ。その時々の感情で、揺らぐ。では皇族は、その揺らぎに身を委ねるしかないのか。つまり国民の感情に振り回されるしかない存在なのか。皇族が国民を信頼する。その気持ちは、どうなるのか。国民と皇族、双方の信頼なしで制度は存続するのか。やにわに答えが浮かばない。

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