◆読後感が昭和28枚の説明文書


ブータンへ向けて羽田空港を出発する長男悠仁さまと=2019年(代表撮影) (c)朝日新聞社
ブータンへ向けて羽田空港を出発する長男悠仁さまと=2019年(代表撮影) (c)朝日新聞社

<東日本大震災の影響を受けて、当時は時給制のパート従業員として働いていた母の出勤日が少なくなり、収入も激減することになりました>。それを知ったAさんが「家族になるのですから当然です、頼られて嬉(うれ)しいです」などと言って、支援してくれるようになった、と続く。


 Aさんと婚約に至った事情もまとめると、「交際を始めたものの、応分の負担を求められる店の値段が高く、家計への負担が心配になってきた。でも、好感情を持っていたので、真剣な交際か尋ねた。すると『あなたさえよければ結婚を前提としています』と返ってきた」からという。


 パートのシフト減、負担となる割り勘……。コロナ禍の昨今と重なる事情なのに読後感が昭和なのは、佳代さんの他律性というか依頼心というか、そこにあると思う。


 夫を亡くしたのは、息子が10歳のときだったという。それまで市役所勤務の夫を支える専業主婦だったのだからすぐに安定的な仕事を得られなくて当然だ。そもそも今だって日本はジェンダーギャップ指数120位なのだ。が、それにしてもAさんに頼る以外になかったろうか、と思ってしまう。脳内時計を、ググッと巻き戻される感じになる。


 一方で、息子の教育にかける思いはとても強い。結果、母が小さな部屋で一心に息子を守り、息子は貧しい暮らしをバネに立身出世を狙っている、そんな昭和の風景が浮かんでくる。これが本当に昭和なら、息子は東大を経て大蔵省に入ったりするのだろうが、平成生まれの小室さんは「海の王子」を経て、眞子さまへ。


 そのわかりやすすぎる上昇志向、母の強すぎる存在感、その先にあったのが本来、手の届かない皇室──。小室母子バッシングのありかもまた、非常にわかりやすい。


 佳代さんが紀子さまと同い年だと知ったのは、ごく最近だ。佳代さんを悪(あ)しざまに書く記事はたくさんあっても年齢を明記したものを目にすることはなかった。だが「文藝春秋」7月号に「紀子さまと小室佳代さん 1966年、丙午生まれの私たち」という記事が載っていた。筆者の酒井順子さんも66年生まれで、かつての週刊誌記事から「ひのえウーマン」という言葉を紹介していた。

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