◆険しくなった紀子さまの表情
皇室という制度が、紀子さまに無理をさせている。その無理が、あの表情になっている。林さんはそう感じていたからこそ「皇室顔」と表現したのだと思う。
雅子さまは「適応障害」という形で皇室の無理を訴えた。一見、順調そうな紀子さまも表情が無理を訴えている。そして、眞子さまは結婚への強い思いと引き換えにしたPTSDという形で無理を訴えた。それが、天皇制の重い現実だと思う。
紀子さまの写真を大量に見た経験がある。ある写真専門サイトで「秋篠宮 紀子さま」と検索し、ヒットした4千点以上を見たのだ。婚約前から53歳の誕生日までのものだったが、悠仁さまが生まれてから表情がどんどん険しくなっていた。
紀子さまが悠仁さまを出産したのは06年9月、40歳になる5日前だった。皇室には41年ぶりとなる男子誕生で、紀子さまが「皇室の危機」を救ったとされた。小泉政権下、「女性、女系天皇」議論が進んでいた時期でもあり、紀子さまの「強さ」が強烈に印象付けられた。
雅子さまと比べ、紀子さまは「できた嫁」と評されていた。その範疇(はんちゅう)を超えた強さと誰もが思ったからだろうか、悠仁さまがお茶の水女子大附属幼稚園に入園した頃から、徐々にバッシングが増えていった。本来、長男の嫁がすべきことを、次男の嫁がした。そんな「ねじれ」にメディアがつけこんだのだと思う。
紀子さまバッシングを減らしたのは、皮肉にも小室さんと母・佳代さんだった。小室さんが今年4月、母と元婚約者の「金銭トラブル」を説明する文書を公表したが、それが事態を悪化させた。
28枚に及ぶ説明文書を読み通し、小室さんと佳代さんの「物語」のようだと感じた。どこかの炭鉱あたりで、母子が肩を寄せ合い暮らしている。そんな昭和の映画を見たような気持ちになった。
決して楽ではない暮らしが浮かんでくる。佳代さんが元婚約者(便宜上、Aさんとする)からの支援を定期的に受けるようになったのは婚約の翌年の11年4月からだというくだりでは、理由がこう説明される。