眞子さまを囲んで秋篠宮さまと(宮内庁提供)=1991年
眞子さまを囲んで秋篠宮さまと(宮内庁提供)=1991年

「家族として非常に難しい状況の中にありますが、私は、長女の眞子がいとおしく、かけがえのない存在として感じられ、これからも、長女への思いは変わることなく、大切に見守りたいと思っております」


 それから3年。紀子さまは今、どんな思いでいるだろうか。


 娘の結婚と病が同時に発表される。そのつらさは、想像にあまりある。眞子さま秋篠宮さまと紀子さまの長女だったが、生まれた瞬間から「天皇陛下の初孫」だった。


 このことをずっと意識してきたから、眞子さまは公務を懸命に務めた。その一方で、皇室を出たいという気持ちを強く持っていた。そこに小室さんへの愛が重なり、結婚を強く望んだ。そう拝察し、何度も書いてきた。


 皇族としての自覚をもって公務に邁進(まいしん)する。紀子さまは娘をそういう女性に育てた。だが、娘の最大の望みは、育った場所からの脱出。この矛盾を前に、紀子さまはどう感じているのか。己を責めることだけはしないでほしいと願いながら、ある文章を思う。令和になって間もなく林真理子さんが書いた文章だ。


「『雅子さま』平成と生きづらさと私」と題された特集(「週刊文春」19年8月15・22日号)への寄稿で、林さんは天皇ご一家の人気が上がるにつれ秋篠宮家が非難にさらされていることを危惧し、こう書いていた。


<いつのまにか紀子さまがヒール役を担わされてまことにお気の毒である。ご婚約の時の、愛くるしく清楚な「紀子ちゃん」を知っている者にとって、昨今の「皇室顔」となられた紀子さまにはあまり親近感がわかない。それでもいつのまにかヒール役を負わされていて、私は憤っているのである>


 紀子さまバッシングが皇室報道の定番のようになっていた。ターゲットにされた紀子さまの表情を林さんは「皇室顔」と表現した。確かに、紀子さまはいつも同じ表情に見える。口角は上がっているのに、笑っていない。笑っているのに、楽しそうでない。そんな表情だ。

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