小さな風景画だったが、深い色遣い、デッサンの確かさ、私はその絵の前をしばらく動くことができなかった。一念の娘夕見(ゆみ)さんも画家だが、偶然知り合うことができて、父上の一念が存命中に富士の裾野の家にうかがう機会を得た。一念は緑内障で失明してからも毎日家の周囲の手すりをたどって歩き、まるで絵を思わす書を書いた。好奇心旺盛で、私は挨拶もそこそこに、政治、経済、文化と質問攻めにあった。

 銀座の画廊に通ったが、私の手に負えず、書を数枚買うことになる(その後、水彩の夕日のスケッチを一枚、手に入れたが……)。

「暁の鳥何の用だね」「みずうみに月漂ふ」「むれ鳥夕映えをゆく」。軽井沢の山荘で掛けかえては眺めている。

 その一念の息子俊一の写真はしっかりした骨格が一念に似ていた。

 無言館第二展示館の出口に、一人の男が座っていた。白髪にはなったが、その背中の確かさ! 優しい目。「窪島さん?」。そっと声をかけた。何度も握手を交わして別れた。

下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。この連載に加筆した『死は最後で最大のときめき』(朝日新書)が発売中

週刊朝日  2022年11月25日号

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