目新しい食品がいくらブームになろうと、気が付くと食べたくなる日本人のソウルフード、カツ丼。その誕生は100年前の大正時代に遡る。そこから各地で独自の進化を遂げ、数々の“ローカルカツ丼”文化が花開いた。知られざる個性派カツ丼たちの「秘史」を探る──。
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2018年夏、東京・早稲田の老舗そば屋が暖簾を下ろした。その店について朝日新聞は、「早稲田 細る学生街の老舗食堂」と題した記事の冒頭でこう紹介した。
<早稲田大学のすぐそばで学生らに愛されてきた一軒のそば屋が7月、静かに店じまいした。1906年創業の「三朝庵」。カツ丼やカレー南蛮を考案したとされる。5代目の加藤浩志さん(57)は「従業員が高齢化し、バイトも集まらない。後を継ぐ人もおらず、閉店を決めた」(後略)>(18年12月7日付夕刊)
同店がカツ丼の提供を始めたのは今から100年前、大正10(1921)年ごろだという。
筆者は以前、別の媒体で加藤浩志さんにカツ丼誕生秘話を聞いたことがある。誕生100年を祝し、当時の取材メモに基づき改めて紹介する。
カツ丼やカレー南蛮を考案した背景にあったのは洋食ブーム。「三朝庵」はもともと「三河屋」の屋号で江戸時代に創業した。江戸っ子はそばが大好き。その時代は良かった。しかし明治の後半から食の洋風化が進んだ。
危機感を抱いた当時の店主・加藤朝治郎氏は新メニューとして、人気急上昇中のカレーを、そばやうどんにかけることを思いつき、明治37(1904)年にカレー南蛮を出したという。その2年後には屋号も変えた。
三朝庵の近くには近衛騎兵連隊の兵舎があり、連隊はよく夜に宴会を開いていた。料理の中に肉屋が揚げたトンカツを仕入れて出したところ、好評だったという。
しかし宴会では予約した人数が来ないことが多かった。余ったカツをどうすべきか。朝治郎氏は学生の意見も取り入れ、翌日に親子丼の要領で卵でとじて出した。