「初代の小松道太郎が考案して、昭和6(1931)年の創業当時から出しています。グルメ漫画の『クッキングパパ』で紹介されたことで、全国的になりました」
と語るのは、新潟のタレカツ丼発祥店「とんかつ太郎」3代目の小松寿雄さんだ。誕生の経緯を聞いてみたが、「いいタレができたからでしょう」とサラリ。タレの秘訣を聞いても「新潟のおいしい水です」とかわされてしまった。
醤油があれば、味噌もあるのは当然か。名古屋ではカツ丼に八丁味噌が使われる。
これは発祥店「味処 叶」の初代・杉本利資さんの地元愛によって生まれた。2代目の杉本徳雄さんが語る。
「父は浅草のそば屋の子で、小さいころから手伝いをして醤油タレ作りを覚えました。終戦とともに祖父と祖父の故郷の名古屋に移り、『醤油でできるなら味噌でもできる』とカツ丼のタレを開発。昭和24(1949)年の開業当初から、醤油と味噌の両方のカツ丼を出しました。最初はお客さんの99%が醤油を頼みましたが、父は常連さんに味噌を食べてほしいとお願いしたそうです。食べたら美味いということで、主流になりました」
一方、フレンチとカツ丼のマリアージュを果たしたのは、岡山県。カツの上にドミグラスソースをかけるのだ。「カツ丼野村」3代目店主夫人の野村好子さんが語る。
「初代の野村佐一郎は、東京で帝国ホテルのシェフからドミグラスソースの作り方を教えていただきました。岡山に戻ってそれを白いご飯に合わせたいと考え、試行錯誤の末に完成させたんです。ソースと合うように、ご飯とカツの間のキャベツは茹でています」
昭和6年開業の「野村食堂」のメニューのひとつにすぎなかったが、これが大人気に。
「私の夫のときに、カツ丼専門店にしました。ソースは一子相伝。私もレシピはわかりません。夫は肺がんで2007年に50歳で亡くなりました。がんは47のときにわかったので高校2年生だった息子の大希に伝え、息子は学校から帰ると店を手伝うようになりました。夫が病院から最後に家に帰ってきたとき、息子がカツ丼を作ったんです。夫は弱った体なのに一粒も残さずに食べて『おいしかった』と。息子の味を認めた瞬間でした」