須賀洋介さんが表紙を飾ったAERA10月25号
須賀洋介さんが表紙を飾ったAERA10月25号

「やらされる、ということが昔から大の苦手。既定路線から逃げたい気持ちと、根拠のない自信もありました」

 そんな鼻っ柱の強さを買ったのが、21歳で出会ったフランス料理界の巨人、ジョエル・ロブションだ。ロブションがシェフから食のコンサルタントとして世界中にビジネスを広げていた局面で助手として採用され、めきめき実力を発揮した。26歳で六本木ヒルズにできた「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」世界1号店の立ち上げを任され、以後、ニューヨーク、台北、パリと世界各地で新店の出店を取り仕切り、猛者が集まる厨房で総料理長の重責を担った。

 独立は37歳の時。食を追究する場という意味を込め、店名に「ラボ」を入れた。「Japan to the world」を合言葉に、日本の食材と優秀な料理人を世界に発信したいと、多忙の中でも産地を訪ね歩く。

「常に第一線を疾走してきて、今も闘いの最中にいます。だからこそ、作り続けていける。ただ、あまりにも多くのことを抱えすぎている自覚もある。街の小さなビストロにシフトしてもいいじゃん、という自分と、今以上に集大成を求める自分の両極があって、そこを行き来している感じです」

 そのせめぎあいを宿命のように背負ったスターシェフの表情だった。(ジャーナリスト・清野由美)

AERA 2021年10月25日号