■帰ってきたのは体だけ
「ハッキリ撮れちゃうと、気配とか、においが、ちょっと感じにくいな、と思った。それに、こう撮ろうと思ってもなかなか撮れないじゃないですか。もちろん、ねらって撮ってはいるんですけれど、ねらいすぎると、そのねらいばかりが見えてきてしまう」
レンズを思い切り繰り出し、さらに接写レンズを取りつけ、ピントは体を前後に動かして合わせた。
ファインダーはのぞいたものの、構図をきちんと決めることはできない。
「ファインダーは写る範囲の目安でしかない。でも、それが面白いと思った。重箱の隅をつついて撮るような絵づくりじゃなくて、撮りたいものを『えいっ』て、つかまえる感じ。それが写真にすごく出た」
「そんな撮影で、3日間がすごく楽しくって」と語る藤里さん。夏目さんに対しては、「ぼくが思っていた以上の姿でいてくれた。並々ならぬ覚悟で来てくださったので、この作品ができた」と、感謝の言葉を口にする。
一方、夏目さんに、「東京に帰ってきて、ほっとしましたか?」と、たずねると、意外な言葉が返ってきた。
「いえ、まったく。帰ってきたのは体だけで……。声が聞こえるんですよ。『響さーん』って。帰ってきた日から、たぶん2週間ぐらい毎日続いたと思うんですけど、こっち向いてほしいときに私の名前を呼ぶ声が。ニコニコ顔で、ほんとうに楽しそうな声で」
「オカルト、というか、ホラーですね。そこに差があるんですよ。そこがね、面白かったな、と思って」。 藤里さんがほほ笑む。
■あのときの時間を封じ込めた
しかし、そんな藤里さんも「撮影が終わって、体は東京に戻ってきたんですけれど、なんか、気持ちがぜんぜん戻ってこない。ふわふわとした感覚があった」と言う。
「撮影は単純に楽しかった。ぼくはね。でも、ぜんぜん、けりがつかないんですよ。これはいつもと違うことをしなくちゃいけない、と感じた。それで、久々に本にしようと思った」
当たり前の話だが、これまでにつくった写真集は少しビジネスのにおいがしていたという。そんなわけで今回、写真展に合わせてつくった作品集は商売っ気抜きで出す「初めての写真集かもしれない」と言う。
「なんのしがらみもなく、ただ、あのときの時間を封じ込めた。それが次に進むためには必要なものかもしれないと思っています」
(アサヒカメラ・米倉昭仁)
【MEMO】藤里一郎 夏目響 写真展「Intangible」
Nine Gallery 10月25日~10月31日
会場では同名の写真集も販売。B5判、160ページ、会場特別価格4000円(税込み)