伊沢拓司著『クイズ思考の解体』(朝日新聞出版)※Amazonで詳細を見る
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伊沢:そうですね、ありのままのクイズというか、クイズというゲームが、クイズというゲームそのものとして存在するのが当たり前、という状態を作っていきたいですね。藤井聡太三冠に「将棋をやっていて役に立ったことはありますか?」と問うことがないように、クイズをやることはなにかのためにある行為ではないのです。クイズはクイズのためにある。

 その上で、クイズもそのゲーム性、ただ知っているか知らないかで勝敗が決まるわけではないという面白みが知れ渡っていけばよいなと思っています。なにかの役に立つかなんてひどく相対的で移ろいゆく指標だし、ゲームはゲームとして面白ければそれでいいわけですからね。

 そもそも、なんでクイズは世の中の役に立たなくちゃいけないのか。仕事としてやるにしても、なぜクイズを見せるだけじゃいけないのか。それで楽しんでくれる人がいたら、もうそれはゲームとしても仕事としても成立していると思うので。

 僕自身、生きていくためにクイズ以外のことを沢山やっていますし、QuizKnockでは教育を通して社会に貢献することを目指していますけど、それとこれとは別ですからね。クイズそのものがなにかに貢献しなければならない、というのは、少なくとも外部から要請されるようなことではないと考えています。

 もちろん、僕が記述したクイズというものすら、他の人のクイズの定義からずれてしまっている可能性があるので、そこは共通のルールを持たないゲームとして難しいところ、普及の上での壁にはなると思うんですが、そのあたりは今回あえてのスルー、多少の捨象を含んででも「クイズはそれ単体でゲームとして成立しており、これだけ語ることがあるのだ」ということをここに示せたということには価値があると思います。そういう意味では、本屋にこの分厚さの本が鎮座した時点で、少し僕の目的は達成されていますね。

 この本が、クイズは浅く広く知っているだけで価値がない、学問とは対極の存在、ゆえにクイズはくだらない、だからバカにしていい……みたいな無知ゆえの見下しに対する、優しい処方箋になっていたらいいなと思います。これ、僕の被害妄想みたいですけど、ほんとにあるタイプの批判ですからね。もう馬鹿らしいし時代遅れなんで、さっさとアップデートしちゃいたいなと思います。

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この本からクイズを始めよう!というのには向いていない