ニューヨークに遊びにきた明石家さんま(C)朝日新聞社
ニューヨークに遊びにきた明石家さんま(C)朝日新聞社

「一緒に暮らしていると、食べ物の趣味も何もかも同じになっていくんですよね。生活のすべてが、あうんの呼吸。彼は私で、彼との生活が私だった。夫も同じ気持ちで、今、私たちが離婚して、他の人と結婚するなんて絶対ありえない。この生活、他の人とは考えられないね、それは勘弁だねと言っていました。だから、夫の最大の裏切りは不倫ではないんです。私を残して死んだことなんです」 

  山村さんは大学時代、劇団「東京キッドブラザース」の主宰者・東由多加さんにスカウトされて女優として1年間活動した後、1980年にフジテレビに入社した。宅間さんと結婚した翌年の85年に退社した。 

 2002年には、山村さんが脚本、演出をした2人芝居「私とわたしとあなたと私」に主演。その舞台が好評で、翌年には女優吉川ひなのと共演して再演された。

 ところが、ちょうどその時期に、宅間さんがフジテレビ本社からアメリカのニューヨーク赴任を命じられる。山村さんはせっかく舞台が軌道に乗ってきたところでと、迷ったが夫とニューヨークに行くことに決めた。2003年から08年までの5年間は一緒にニューヨーク生活を送った。

  当時の生活をこう振り返る。

「ニューヨーク市マンハッタンのコンサート会場『カーネギーホール』の裏手にある高層マンションの48階に住んでいました。1LDKでしたが、リビングは30畳くらいありました」 

 部屋の窓からはセントラルパークやメリディアンホテルの屋上を見下ろせた。ホテルのプールサイドでは、客たちが水着で日光浴を楽しんでいる光景が見えたそうだ。 

「この頃、夫婦の絆が深まりました。それまではそれぞれが好き勝手に生きるニ心ニ体の私たちでしたが、ニューヨークでは、どこへいくにも、なにをするにも夫婦一緒。一心同体となりました」

 ニューヨーク滞在中、明石家さんまもやって来たという。 

  「さんまさんは時々、ニューヨークにいらっしゃったけれど、ブロードウェイのミュージカルを毎日がんがん見て、ゴルフしてっていう感じの過ごし方だと聞いています。それくらい勉強家でいらっしゃるんでしょうね」 

次のページ
若き小泉進次郎氏との出会い