天候が良ければ相模湾でカヤックを楽しむ。海外の極地でも漕ぐので、練習を兼ねている(撮影/今祥雄)
天候が良ければ相模湾でカヤックを楽しむ。海外の極地でも漕ぐので、練習を兼ねている(撮影/今祥雄)

 探検家、角幡唯介。数多の冒険者をはねのけたチベット奥地にあるツアンポー峡谷を踏破し、一日中太陽が昇らない極夜の北極圏を犬1匹と歩く。未知の世界を行くとき、危険と隣り合わせではあるが、角幡唯介はあえて、GPSや衛星電話を持たずに出かける。文明の利器で便利になった分、人間としての能力は退化した。制限を設けることで、より感覚が研ぎすまされる。

【写真】週に3、4回はランニングする。冒険を続けるためには体力の維持が欠かせないからだ

*  *  *

 9月5日、角幡唯介(かくはたゆうすけ)(45)は、友人の島田陽磨(しまだようま)(45)と会う約束をしていた。島田が監督した映画「ちょっと北朝鮮まで行ってくるけん。」のトークショーに出演するためだ。が、駅から徒歩1分の映画館が見つからない。角幡は島田に電話をした。

「道、わかんなくなっちゃったんだけど」

 角幡はあまたの猛者の挑戦をはね返してきたチベットの秘境、ツアンポー峡谷にある人跡未踏の空白部を単独踏査、また一日中太陽が昇らない北極の「極夜」を約80日間、星などを道標に冒険した男である。にもかかわらず方向音痴だという。

「実は彼、冒険に向いていないと思うんですよ」

 と言うのは、角幡と北極を3カ月以上、1600キロ歩いた冒険家の荻田泰永(やすなが)(44)である。

「まず体が強靱(きょうじん)ではない。強いストレスを受けると唇にヘルペスができる。それをトレーニングなどでカバーしていますが、物をよく無くすし壊すので、ひやっとすることがありましたね」

 角幡はそんなギャップを示す逸話に事欠かない。

 ノンフィクション作家としての業績も華々しい。前記のツアンポー峡谷冒険を書いたメジャーデビュー作『空白の五マイル』でいきなり開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞、梅棹忠夫・山と探検文学賞のトリプル受賞。19世紀に英国フランクリン隊129人全員が北極で死亡する事件が起きたのと同じルートを辿った『アグルーカの行方』で講談社ノンフィクション賞、そして長い極夜の末、太陽をみた時に人はどう感じるかを体験した『極夜行』では大佛次郎賞……。主要な賞をわずか9年間に手中にしている。講談社ノンフィクション賞の選考委員で、“知の巨人”立花隆は作品に最高評価をつける一方で、「また角幡かよ」と思われるかも知れないと選考会で話している(「G2」2013年9月号)。

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