対照的なのは翌年合格した早稲田大学の探検部。「世界の可能性を拓く」と書かれた勧誘ビラ、何をやってもいいという自由さ、面白さに引かれる。
「それと、先輩には船戸与一、西木正明といった直木賞作家がいたり、フリーで活動している人がたくさんいましたからね。部活とその先にある人生が結びつけられそうな気がしたんです」
探検をする以上、登山などのスキルを身につけなければと、先輩と山を頻繁に登った。友人で探検部員だった前出の島田が振り返る。
「たぶん自分を鍛える目的だったと思いますが、かなりハードな登山をしていました。あっと言う間に技術的にも体力的にも先輩を追い越して、探検部一冬山経験のある部員になっていました」
当時もその後も、角幡はこうした実践の積み上げや地道なトレーニングを自分に課している。
大学を卒業しても就職せず、土木会社でアルバイトをしながら冒険を続けた。しかし交際中の2歳下の彼女が就職すると、ふと就職から逃げていたのではないかと自問自答し、以前から興味のあった記者になるため、朝日新聞社に入った。
(文・西所正道)
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