オツオリの跡を継いだのが、同じくケニア出身で山梨学院大に入学したステファン・マヤカだった。1年生時、1993年の第69回箱根駅伝でエース区間の2区で区間賞をマークすると、翌年の第70回大会では2区で当時の区間タイ記録の走りを見せてチームを往路&復路の完全優勝に導いた。続く3年時の第71回大会でも2区を走り、チームは総合優勝。早稲田大の天才ランナー・渡辺康幸のライバルとして幾度となく名勝負を繰り広げ、大学駅伝界を大いに沸かせた。

 同じ山梨学院大のメクボ・モグスのスピードは、さらに強烈だった。箱根駅伝では4年連続で2区を走り、1年生だった2006年の第82回大会で区間賞デビューを飾ると、3年生の時に1時間06分23秒の区間新、さらに4年生の時には自らの記録を塗り替える1時間06分04秒をマークしてインパクトのある活躍を披露。また、ハーフマラソンでも好成績を残し、2年生時だった2007年の香川丸亀ハーフで当時世界歴代10位となる59分48秒の好タイムを記録。札幌国際ハーフでも3度(2005年、2007年、2008年)優勝を飾り、2007年には59分54秒の大会新記録をマークした。

 そのモグスの1学年下だったのが、日大のギタウ・ダニエルだ。1年生時は全日本大学駅伝2区で区間賞、箱根駅伝では3区で4人抜きでの区間2位。続く2年生時には出雲6区、全日本1区でともに区間賞をマークすると、迎えた第84回箱根駅伝では2区で15人抜きの離れ業を披露。その後も箱根2区を担当し、3年生時の第85回大会では怒涛の20人抜き(記念大会のため通常より3校多い23校が出場)。最終学年の箱根でも11人抜きを記録し、箱根駅伝4年間で前人未到の通算50人抜きの偉業を達成した。

 ここに挙げたオツオリ、マヤカ、モグス、ダニエル……。そうそうたる“レジェンド”たちが並ぶが、彼らと比べても東京国際大のヴィンセントの“走り”は特別だ。

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ヴィンセントの凄さは?