50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、2019年の小脳梗塞に続き、今度はうっ血性心不全の大病を乗り越えてカムバックした天龍源一郎さん。人生の節目の70歳を超えたいま、天龍さんが伝えたいことは? 今回は「思い出の力士」をテーマに、つれづれに明るく飄々と語ってもらいました。
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今回はこれまであまり話してこなかった、思い出の力士について話そう。自分の部屋の先輩力士で影響を受けたのは、よく話にでてくる大文字さんと、もう一人、大麒麟さんだ。大麒麟さんは相撲に入らなかったら防衛大学に行って、国土を守りたかったというくらい、ガチガチの保守派。学校の成績もよくて、佐賀県出身だから、親方の佐賀乃花さんとも関係があったのかな? 俺は大麒麟さんに付け人に付く機会が多くて、よくかわいがってもらったもんだ。普通、相撲取りはスポンサー(タニマチ)に媚びを売るけど、大麒麟さんはそれが大嫌いで、呼ばれて接待を受けるなんてことはしなかった。大文字さんとは正反対だ(笑)。
俺たち付け人の前でスポンサーにペコペコしたり、おべんちゃら言うようなことは無くて、凛としてカッコいい関取で、俺たちからプッシュしたくなる人だった。人に媚びを売るのが嫌でポリシーを持ってるから、その分、人の意見で自分の信念を曲げられるのも嫌がるから、扱いづらい一面もあったけどね。
語弊があるかもしれないが「人からのあわれみや施し」や「こいつ(力士)は金がないから飯を食わせてやる」というのは、頑として断っていたよ。武士は食わねど高楊枝ってやつだ。相撲仲間とは持ちつ持たれつで酒の場にも顔を出すが「ご馳走してやるから来いよ」という誘いは断っていた。完全にへそ曲がりの人だった。ところが、こういう人でも大関まで行ったら、スポンサーの接客もしなきゃいけない立場になって、ちょっと丸くなってしまった。俺はちょっとショックだったけど、大関の立場があるからね。