道幅の広い中山道上に設置された巣鴨車庫前停留所に到着する41系統の都電。画面左の西北側が旧中山道で、200店舗が軒を連ねる「巣鴨地蔵通商店街」は「とげぬき地蔵尊」高岩寺の門前町になっている。(撮影/諸河久:1965年3月2日)
道幅の広い中山道上に設置された巣鴨車庫前停留所に到着する41系統の都電。画面左の西北側が旧中山道で、200店舗が軒を連ねる「巣鴨地蔵通商店街」は「とげぬき地蔵尊」高岩寺の門前町になっている。(撮影/諸河久:1965年3月2日)

 1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は「おばあちゃんの原宿」として賑わう「とげぬき地蔵尊」と巣鴨界隈の都電を紹介しよう。

【56年が経過した今の巣鴨は? 現在の写真と当時の貴重な写真はこちら(計5枚)】

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 いまでこそ「おばあちゃんの原宿」などと呼ばれている巣鴨。写真にあるおよそ半世紀前もおばあちゃんたちに人気だったかどうか……は、記憶が定かではないが、老若男女で賑わっていた。

 国鉄(現JR)山手線の巣鴨駅前を横切る中山道(国道18号線)に市電巣鴨線(白山上~巣鴨車庫前)が敷設されたのは1913年で、終点には巣鴨車庫も設置された。昭和期に入ると巣鴨以北に向かう板橋線(巣鴨車庫前~下板橋)が敷設され、下板橋~神保町~日比谷公園を結ぶ18系統が運転された。

 戦中に板橋線は志村(後年志村坂上に改称)、戦後には志村線として志村橋まで延伸され、巣鴨車庫前は18系統(志村坂上~神田橋)、35系統(巣鴨車庫前~田村町一丁目)、41系統(志村橋~巣鴨車庫前)の三系統の都電が発着する中継地となり、山手線への乗換えや「とげぬき地蔵尊」の参詣など多くの乗客で賑わった。

「とげぬき地蔵尊」で賑わう巣鴨界隈

 冒頭の写真は、終着の巣鴨車庫前停留所に到着する41系統の都電。この41系統は1955年6月に延伸された志村坂上~志村橋の開業時に新設された運転系統で、都電最後の新設系統となった。都電の方向幕には「巣鴨」と表示されているが、山手線の内側に設置されている巣鴨駅前停留所に行くわけではなく、278m手前の巣鴨車庫前停留所が終点だった。

 拡幅された中山道の真ん中に位置した巣鴨車庫前停留所は、写真のようなガードレールで間仕切りされた広幅の乗降スペースが設営されていた。朝夕のラッシュアワーには、ここから都心方面に向かう18系統や35系統に乗車する人波が行列を作った。

 画面左に写る「巣鴨地蔵通商店街」のアーチ看板のある通りが旧中山道で「おばあちゃんの原宿」と呼ばれる「とげぬき地蔵尊」高岩寺への参道になっている。800m近く続く商店街は200店舗が軒を連ねる門前町だ。高岩寺のお縁日が催される四の日(4・14・24日)は露天も出店され、ご参詣の善男善女で賑わう。高岩寺の正式名は「曹洞宗萬頂山高岩寺」で、江戸期には上野寛永寺東側の下谷屏風坂に所在した。1891年日本鉄道東北線(後年国鉄→JR)の工事に際して、現在の巣鴨に移された経緯がある。

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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