巣鴨地蔵通商店街の近景が次のカットだ。大きくデザインを変えたアーチ看板は半世紀前と同じ場所に佇立していた。ここの名物は「塩大福」で、旧景最左端に写る商店街入口に「だんご大福」の縦看板のある「伊勢屋」と、入口から参道を進んだところの「東京すがも園」が著名店だった。近景撮影日の伊勢屋は盛況で、多くの甘党が行列を作っていた。近隣の東京すがも園も訪ねてみたが、残念なことにコロナ禍の影響で2020年に暖簾を降ろしていた。
中山道を白山方面から下ってきた35系統巣鴨車庫前行きの都電が、巣鴨車庫前に終着したシーンが次のカットだ。画面奥の少し上に膨らんだ軌道の部分が巣鴨橋で、国鉄(現JR)山手線を跨線している。巣鴨橋を渡った東側が巣鴨駅前停留所で、市電開通当初は巣鴨橋停留所と呼称されており、山手線への乗換えはこちらの停留所が至近だった。
画面手前は巣鴨車庫への出入庫線で、左側の分岐器の先に乗客が立っているのは、巣鴨車庫からの出庫車に乗車する「假(仮)停留所」である。ちなみに、1963年3月の巣鴨車庫には103両の都電が配置されており、錦糸堀車庫の134両、大久保車庫の116両に次ぐ3位の座を占めていた。
1964年「東京オリンピック」の開催中に、鉄道友の会東京支部が主催した「都電乗り歩き」行事に参加している。三田車庫の高性能車6500型をチャーターして、三田~志村橋を往復する企画だった。志村橋からの復路で、休憩と昼食のため巣鴨車庫に臨時入庫した。冷たい秋雨に祟られた日曜日だったが、その時の一コマも掲載しよう。
輻輳する中山道を上る都電と「豊島のやっちゃ場」
巣鴨車庫前から都電板橋線に沿って中山道を少し下ると、右手に豊島青果市場の建物が見えてくる。本コラムでも紹介した「駒込辻のやっちゃ場」が1937年に移転した「豊島のやっちゃ場」である。正式には「東京都中央卸売市場豊島市場」であるが、「やっちゃ やっちゃ」のせり声が語源の「やっちゃ場」の呼称が早口の東京っ子にはマッチする。