■その日「ぼくがいちばんビビッていた」
再び、ダッカを訪れたのは2018年夏。
近年、食肉処理の現場では動物福祉や愛護の動きが世界的な潮流となっている。
「もう、時代が変わり、昔のような光景は見られないかもしれない、と思って、ちょっとドキドキして行ったんです」
しかし、その心配は杞憂だった。ダッカの街に入ると、そこかしこに「自転車を止めるみたいな感じで」、牛が道端につながれていた。
「家畜が川船やトラックに載せられて、どんどん街に入ってきた。船なんか、もう家畜で沈みそうなくらい。運ばれてきた牛で、高速道路の下や河川敷はぎっしりだった」
街のあちこちに市が開かれ、家畜が売られていく。
購入した家畜は家の前や駐車場などにつながれる。そこで強く印象に残ったのは子どもたちの姿だった。
「エサを与えたり、体を拭いたりして、ペットのように接していた。ぼくらだったら、『殺す牛だから、情が移らないように、子どもたちの目につかないように、こっそりと飼っておこう』という発想になると思うんです。でも、まったくそんなことはなかった」
さらに、「命を奪う現場を子どもたちに見せちゃいかん、ではなく、積極的に子どもたちが手伝っていたのも印象深かった。しかも、ぜんぜん臆することもなく。逆に、ぼくがいちばんビビッていましたね。『やめてー』みたいな」。
それは、祭り期間中のある日の朝、路上でいっせいに始まった。
白い服を身に着けた男たちが「俺の晴れの舞台を見てくれ、みたいな感じで」、刀のような大きな刃物を手にしているのを目にしてビクッとした。
「牛の足をみんなで押さえて、一気に首を切るんです。いちばんきつかったのは、あの声。うぉーって。断末魔の叫び、というか。ほんと、噴水みたいに、びやーっと血が噴き出して、道が血の川みたいになった。白い盛装が赤く染まっていく様子がなんとも言えなかったですね」
その周囲には肉をさばく人やカレーをつくる人がいた。皮を集める人、骨をひたすら砕いている人もいる。
「女の人は内臓とかを運んでいました。無駄のないように。やっぱり、お肉を食べるって、そういうことだよな、と思いましたね。でっかい釜でカレーをつくっていたので、ちょっと食べさせてもらったんですけれど、おいしかったです」