哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。

哲学者 内田樹
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 このところ中学生高校生やその保護者たちの前で講演する機会が続いた。演題はどれも「コロナ後の世界で子どもたちはどう生きたらよいのか?」というかなり切実なものである。子どもたちも親たちも、これまでのようなキャリア形成の道筋はこの先の日本社会では通用しなくなるのではないかと漠然とではあれ感知している。だから、社会システムもどこがどう変わるのかを知りたく思うのは当然である。とりわけ「どういう専門分野の知識や技能がこの先『食いっぱぐれ』がないか?」が知りたい。これから産業構造がどう変わるのかについてある程度見通しが立たないと、専攻や職業をうかつには決められない。

 私がお話しするのは三つ。

 第一は、人獣共通感染症によるパンデミックはこれからも定期的に起こり続けるだろうから、「たくさんの人を過密な場所に集めて斉一的な行動をさせる」ことで成り立つ事業、必要なものを海外から調達しないと成り立たない事業はしばしば継続が困難な状況に立ち至るだろうということ。第二は、AIの普及によって機械によって代替可能な仕事は雇用が減るだろうということ。ただ、どの業種でどれほどの規模の雇用消失が起きるかは、正確には予見できない。第三は、それでも雇用が残るのは、生身の人間を相手にして、彼らが健康で人として豊かな生活ができるように身近で支援する仕事であるということ。

 米連邦政府は「どの業界が将来生き残るか」というようなシリアスな問題について遠慮のない答申を出す。この点で、産業界の意向を忖度(そんたく)して、彼らにとって不都合な情報は知っていても公開しない日本の政府やメディアとは覚悟が違う。その「遠慮のない」米政府の出した統計データによると、雇用が減るのは金融、情報、製造業など。雇用が残るのは、行政・医療・教育。要するに、人間を機械に代替することで生産性が上がる領域ではしだいに雇用がなくなり、金儲(もう)けには結びつかないが、「どうしても人手が要る」という領域には雇用が残るということである。当たり前と言えば当たり前である。

 そう聴くとだいたい生徒たちも親たちも安堵(あんど)の表情を見せる。

内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数

AERA 2021年12月27日号