
令和3年もあと1週間になった。アジア地域には干支という年の数え方があり、来年は寅年で、特に九星と重ねて「五黄(ごおう)の寅」(音を縮めて「ごうのとら」と呼ばれることも)年と呼ばれる36年に一度の年回りである。
60年前の壬寅年には大鵬が大活躍
干支は、多くの人がご存じの通り、「子・丑・寅・卯・辰…」という十二支を指していることが多い。正確には干支といえば、これに十干(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)を合わせて、60通りの干支が存在する。つまり、来年の干支は「壬寅(みずのえとら/じんいん)」で、前回は1962(昭和37)年、「可愛いベイビー」がヒット、大相撲で大鵬が横綱として活躍を始め、海外ではアメリカの女優・マリリン・モンローが不審死を遂げた年である。
「五黄の寅」と呼ばれるわけ
十二支や十干は陰陽五行という古代中国に生まれた災害や吉凶を説明しようと考えられた弁である。日本ではもっと呪術的な面が取り上げられてきたが、古代では統計学に近いものとして重用されてきた。これに、九星術というこれも中国から伝わった卜占的な面の強い信仰(一白水星・二黒土星…)が合わさり、「五黄の寅」と呼ばれている。12と9の最小公倍数となる36個が十二支と九星の組み合わせ数となるため、36年に1度だけ巡ってくるというわけである。
寅は虎と認識され
36年のうち「五黄の寅」が特に取り上げられるのは、寅年が十二支で最強の年であり、五黄土星が最強の運勢と言われていること、の掛け合わせから、「五黄の寅」の年は36年に一度訪れる「最強金運の年」と呼ぶ人もいる。もともと虎自体が黄金の毛皮をまとっていることもあり金運を高める図柄として好まれてきた。宝くじ売り場などに「本日寅の日」と書かれているのを見たこともあるだろう(干支は月・日にもある)。
イメージだけの虎の姿
ところで日本には古来、虎は生息していない。日本にはインド・中国からイメージだけが輸入された生き物だったので、実物を見たことのない絵師の筆で描かれた虎の絵は、どことなくリアリティーさに欠けている。平安時代に天皇に献上されたり、豊臣秀吉などの為政者が手に入れた記録は残るが、一般庶民が目にできるのは幕末に世界各国の船が来航するようになる頃まで待たねばならなかった。それでも紫式部日記(1008~1010年の宮中の様子を描いたもの)に「虎の頭(とのかしら)に模した作り物を煮るまねをした湯で産湯を使わせると、子供の邪気を払い生涯無病に育つ」といった内容の記載があって、この時代にすでに虎が厄よけや丈夫につながる縁起物として考えられていたことがわかる。