上皇ご夫妻の「ご成婚祝賀パレード」=1959年4月10日(朝日新聞社)
上皇ご夫妻の「ご成婚祝賀パレード」=1959年4月10日(朝日新聞社)

<若菜つみし香にそむわが手さし伸べぬ空にあぎとひ吾子(わこ)はすこやか>(61年)

 前年2月に生まれた浩宮さま(現在の天皇陛下)を詠んだ歌だ。「あぎとひ(あぎとう)」を広辞苑で引くと、「(幼児が)片言を言う」とある。渡邉さんによれば、「小さな子どもが母親にやんやん言って甘えることです」。五島さんの言葉だった。五島さん直伝の歌心──。

 渡邉さんが愛したのが、母を詠む美智子さまの歌だった。

<やがて子をおくらむ心持てばこそ我に背むけてよもぎ摘む母>(59年)

<子に告げぬ哀(かな)しみもあらむを柞葉(ははそは)の母清(すが)やかに老(お)い給ひけり>(78年)

 1首目はお妃教育の最中に詠んだ歌、2首目は「歌会始の儀」(お題は「母」)で詠んだ歌。

 美智子さまの母・正田富美子さんに渡邉さんがインタビューしたのは、懐妊が発表された直後の59年のことだった。自身が差し出したマイクに富美子さんが語った言葉を、渡邉さんはやはりそらんじていた。

<今回の発表で、御順調な、御経過をたどっていらっしゃると伺い、心からお喜び申し上げます。(略)大変お元気で、主人なども、その御様子をお見上げして大変お喜び申し上げておりました>

 渡邉さんの著書『美智子皇后の「いのちの旅」』から引用したが、この言葉をそらで語る渡邉さんの声音は今も耳に残っている。娘にも敬語を使い、その陰で目立たぬよう目立たぬよう生きた富美子さんも、渡邉さんのテーマとなった。

 渡邉さんは看護師の母に育てられた。母一人、子一人という家庭環境も、富美子さんへの思いに影響していた気がする。渡邉さんが27歳の時に母が亡くなった。後に渡邉さんは政治家だった実父を相手に認知請求の裁判を起こし、認知の判決を得た。そのことも月刊誌に書き、晩年は『かくし親』という本にもした。根っからのジャーナリストだった。

 さて「母」としての美智子さまの歌からは、これを。

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