
渡邉みどりさんは、独自の視点で皇室を読み解いたジャーナリストだった。美智子さまを60年余にわたって見つめ続け、その「歌」にも深い思いを寄せていた。コラムニスト・矢部万紀子氏が、折々に詠まれた歌をひもときながら、渡邉さんが歩んできた道を偲ぶ。
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渡邉みどりさんが亡くなって3週間が過ぎた。上皇后美智子さまと同じ1934年に生まれ、結婚パレードをテレビディレクターとして中継して以来、美智子さまを追い続けた。88年という渡邉さんの人生の後半、たくさんのことを教わった。感謝を込めて、振り返りたい。
本誌と渡邉さんの関わりは深い。エリザベス女王死去に際しても、英王室と皇室のつながりを語っていた(9月23‐30日号)。女王即位60周年の午餐会(2012年)に美智子さまが身につけた着物を「最高格」ととらえての解説で、着る物と生き方と歴史を結びつける渡邉さんらしいものだった。
私が渡邉さんと出会ったのも本誌だった。93年、天皇陛下と雅子さまの結婚直前の取材で、以来ほぼ30年。渡邉さんに教わったことの一つに、美智子さまの歌があった。
美智子さまには歌集『瀬音』(97年)もあり、歌人の岡井隆さんはその腕前を「詩歌一般についても深い教養をおもちで技芸すぐれた歌詠みでいらっしゃる」(『新・百人一首 近現代短歌ベスト100』から)と評した。渡邉さんは美智子さまの歌をいくつもそらんじていた。その一つ。
<幾光年太古の光いまさして地球は春をととのふる大地>(69年)
「歌会始の儀」に詠んだ歌で、お題は「星」。当時、地球を「星」に見立てることは斬新で、そのスケールの大きさに「いずれすごい皇后になる」予感がしたと語っていた。
その年の4月、初めての女の子(黒田清子さん)が生まれる。「地球は春をととのふる大地」とは、子を宿した美智子さまの気持ちそのものだったろうとも語っていた。美智子さまを「同世代を生きる女性」と捉える。渡邉さん独自の視点だった。
美智子さまの和歌の師・五島美代子さんとの思い出も、渡邉さんはたくさん語っていた。美智子さまゆかりの人々に取材し、親しくなる。それが渡邉さんだった。