<母住めば病院も家と思ふらし「いってまゐります」と子ら帰りゆく>(69年)

 清子さん誕生時の歌。母を見舞う現在の天皇陛下秋篠宮さま。乳人でなく自らの手で育児した上皇ご夫妻の「改革」も、渡邉さんのテーマだった。

 渡邉さんは「戦後」という文脈で美智子さまを考え続けた人でもあった。

<雨激しくそそぐ摩文仁(まぶに)の岡の辺(へ)に傷つきしものあまりに多く>(72年)

<慰霊碑は白夜(びゃくや)に立てり君が花抗議者の花ともに置かれて>(2000年)

 1首目は「五月十五日沖縄復帰す」という詞書とともに詠まれた3首のうちの1首。これを紹介することが多かったのは、「傷つきしもの」という言葉があったからではないかと想像している。

 2首目はオランダ訪問を詠んだもの。第2次世界大戦時にインドネシアで日本軍がしたことの代償として、元捕虜らが抗議のデモをした。その人たちも花を捧げたことを美智子さまは詠んだ。

 渡邉さんは「昭和の負の遺産」という言葉をよく使っていた。昭和天皇の長男である人のところに、美智子さまが嫁いだ。平成になり「負の遺産を慰霊する旅」をした。その意味合いを渡邉さんは、令和になっても問い続けたのだと思う。

 先述した93年の「週刊朝日」で、渡邉さんはこう語っていた。

<私は、美智子さまは日本の皇室を救った人と固く信じています。天皇の名のもとに、たくさんの方が戦争で死んでいるのですから、あのとき旧華族や旧皇族からお嫁さんが来たら、ブームは起きなかったし、皇室への親近感は盛り上がらなかったと思います>

 この視点が、皇室ジャーナリストとしての渡邉さんを支えたと思う。

 さて最後は、美智子さまが嫁ぐ直前に詠まれたこの歌を。

<たまきはるいのちの旅に吾を待たす君にまみえむあすの喜び>

 これからの結婚生活を「いのちの旅」と表現、五島さんも絶賛した歌だった。渡邉さんの『美智子皇后の「いのちの旅」』は、ここからきている。

「いのちの旅」を追い続けた渡邉さんの人生。意義深い88年だった。

週刊朝日  2022年11月4日号

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矢部万紀子

矢部万紀子

矢部万紀子(やべまきこ)/1961年三重県生まれ/横浜育ち。コラムニスト。1983年朝日新聞社に入社、宇都宮支局、学芸部を経て「AERA」、経済部、「週刊朝日」に所属。週刊朝日で担当した松本人志著『遺書』『松本』がミリオンセラーに。「AERA」編集長代理、書籍編集部長をつとめ、2011年退社。同年シニア女性誌「いきいき(現「ハルメク」)」編集長に。2017年に(株)ハルメクを退社、フリーに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』『美智子さまという奇跡』『雅子さまの笑顔』。

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