土井:「物買って来る 自分買って来る」という河井寛次郎の言葉がありますが、何かを選ぶということにはまさに自分が表れるので。
中江:物語の冒頭、松たか子さん演じる真知子が寒いなかをやってくる。そのときにお抹茶を点てるというシーンで、土井さんから「この抹茶碗、どうすんねん?」と。どうすんねんって言われても……。「まず監督さんが考えてみたらええん違いますか」と言われ、恐怖に脅えまして(笑)。抹茶のお茶碗を選ぶって大変なことなんです。たまたま器の仕入れの仕事もしているので、いろいろ調べたり、京都の骨董商に相談したりするうち、河井寛次郎さんの記念館で抹茶碗を貸していただけることになったんですが、土井さんは「河井寛次郎の茶碗はちょっと違うんちゃうか」と。「このときは、寒いなかをやってきた彼女のことを考えてるんでしょ」って。
土井:評価の定まった高麗茶碗や楽茶碗、唐津の古いものとか、そりゃええに決まっているけど、その場にふさわしいのかどうなのか。無理せず、さりげなく今の自分の気持ちを表現するならこれちゃうか、と。
中江:それは「福」の字を書いた赤絵の向付(むこうづけ)の茶碗でしたが、本当にぴったりで。あれを古い唐津とかにしていたら、山の家と合いすぎているんですよ、たぶん。
土井:合いすぎる、いうのもあかんです。料理するにしても、料理屋さんのええ悪い、の世界じゃなくて、ツトムの生活観、人生観のなかで生まれてくるものを探す作業、それをずっとやってました。
中江:準備から含めると2年間くらいかかりましたね。見えている世界だけだとちょっとわからなくて、山の風土とか自然から感じるようなこの映画の根っこにある古層の部分がなければ世界観をつくれなかった。
土井:今回、長野の人たちがえらい協力してくれたんです。映画に出てくる干し柿をつくった名人のお母さんも長いお付き合いです。わらび、ぜんまい、山うどなど、山菜との出会いは、まだ私が30そこそこのころ、長野でレストラン開発のような仕事の手伝いをしてまして。あるとき山をドライブしていたら、道端でなんか採ってはる人がいる。聞いたら「山うどです」と。土に埋まっていたところは真っ白、上のほうは緑色、その中間は真っ赤で。土を払い「これ、かじれ」と渡してくれた。かじった瞬間、ぐわーっと頭を殴られたみたいに自分の知らなかったおいしさの世界に出会うわけです。こういうのを教えてくれた人たちが、みんな映画に協力してくれはったんです。