■「喰らう」ことの根源的な意味
土井:ところで監督は現場でモニターをまったくご覧にならないですね。
中江:ええ、現場の役者たちのなるべく近くで、違うときはすぐに違うということを伝えたいんです。
土井:モニターは全部撮り終わってから、編集の段階で初めて見る、と。
中江:今回ひとつ驚いたのが、現場で僕はカメラの横にいるわけです。そこで沢田さんの演技を見ていて、その場ではいいのかどうか実感が持てなかったんです。ところが編集で実際に映ったツトムの姿を見て本当にびっくりした。イメージを超えるツトム像がそこにあるんです。このまま沢田さんのツトム像を中心につないでいけば、この映画は成立すると思い、説明的なカットは全部外していった覚えがあります。沢田さんは料理も普段からなさってますよね?
土井:最初にぬか床に手を入れて「このぬか床、かたいね」とおっしゃった。それだけでも、いろんなことをされてるのがわかりました。でも、ツトムがどれくらい料理ができるのかというのも思案しどころで、ツトムの包丁さばきがめっちゃすごかったら、やっぱりおかしいでしょ? 大切なのは一生懸命、料理に向かうという手ですよね。
中江:「丁寧にやる男の手はきれいなもんや」って、おっしゃっていましたね。
土井:でも私自身は料理をしに来てますから、「こっちからこういうふうに撮ったほうがもっとおいしそうに見えるんちゃいます?」と言うと、監督は「おいしそうに見える撮り方は、この映画のなかではいらないんです」と言う。今ではその意味わかるけど、普通は意味わかりませんよね。
中江:土井さん、たいてい1回しか作られないんですよね(笑)。そういえば最初打ち合わせをしたとき、「食べるシーンはいらんの違うか」っておっしゃるんですよ。食べなくてもおいしいの、わかるでしょうと。
土井:おいしさは、もう見えてますからね。輝きとかつやとか湯気とか全部映っているわけやから、食べるシーンはいらんのですよ。
中江:ええ、羽釜を開けて湯気がたつの、おいしそうでしょ。でも1回しか撮れないんです(笑)。
土井:監督に一番のシーンを撮ってほしいと思うと、もうちょっとこっちの角度でと言うんだけど、「でも映画ではそうじゃない」と。観る人に気づきというか、チラッと見えるか見えないかのようなところにイマジネーションを促す要素があるというようなことを、さりげなく教えてくれはったと思うんです。
中江:食べるシーンは少ないですけど、観たあと、絶対おなかがすきます(笑)。
(構成 山田智子)
※週刊朝日 2022年10月28日号