家族制度を単なる名前の上だけで維持しようというのはどうかしている。国民もこの手の言葉にごまかされてはいけない。この件については最初に声を上げた野田聖子さんも疑問を投げかけているが、やっと国会でも議論が始まるかと期待していた私はがっかりした。
まだ若い頃、世論は古い考えに支配されていた。つれあいの会社のことを考えて、私はいやいや同姓にしたが、もはやこの状況ではいよいよ籍を抜く行動に出るしかないか。
なぜ選択的夫婦別姓が必要か。多くの人は姓を変える不便さを挙げるが、それは本質ではない。
私自身、下重暁子という人間なのに、戸籍上法律上存在していないことになる。
その個の存在を認めないということは憲法十三条に違反する。日本では相変わらず個の存在を認めたくないのか。何を恐れてかたくなに個に反発するのか。声を大にして言いたい。夫婦同姓は不便なだけではない。私という個が否定されることが不快なのである。
下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。この連載に加筆した『死は最後で最大のときめき』(朝日新書)が発売中
※週刊朝日 2022年9月16日号