「そんな人物にどうして、誤報を伝えたのか。私は、秀吉はあえて偽の情報を流すことによって清秀などの部将たちを味方に引き入れようと考えたのだと思います。実際、秀吉が光秀を討つ山崎の戦いで、清秀は急先鋒となって光秀と戦っています」
■情報管理とコミュ力
情報管理について本郷氏は三英傑をこう評価する。
「信長は情報の重要性をよく知っています。だが一方で、妹婿である浅井長政の裏切りに気づかず、九死に一生を得ます。そして最後は明智光秀の裏切りにあって殺される。これは、情報を集めてコミュニケーションが取れていなかったという見方もできるので、『3点』です」
秀吉は「2点」。点数が低い原因は、朝鮮出兵にある。秀吉は晩年、2度にわたり朝鮮に侵攻するが、結果的に何ら得るものがなく、豊臣政権の基盤は揺らぐ。朝鮮の民衆や明軍の力を過小評価し、情報が全く取れていなかったことも原因にあると考えられるためだという。
家康は、「5点」だ。
「関ケ原の戦いで徹底的な手紙作戦を行います。その結果、西軍の総大将だった毛利輝元は大坂城から動かず、小早川秀秋に至っては西軍を裏切っています。情報を上手に使い、見事な勝利を得たので満点です」
最後に多様性への理解という点で三英傑はどうか尋ねた。
河合氏は、三英傑は比較的身分にこだわりがなかったと見る。
「特に家康は、僧侶の天海や儒者の林羅山、軽輩の大久保長安など、有能なら身分にかかわらず側近に取り立てており、偏見は少なかったと思います」
本郷氏は、こう話す。
「信長は弥助という、宣教師が連れてきた黒人を織田家に登用し、家康はウィリアム・アダムスという英国人航海士を外交顧問に取り立てるなど多様性が高い面があります。一方で、信長は一向宗の門徒を大量に虐殺し、比叡山を焼き討ちします。秀吉はキリスト教を禁止し、家康は徹底的に弾圧します。そういう点から、全員『2点』です」
歴史を学ぶのは、昔を知るためではない。今を生きる指針を得るためだ。時代を大きく変えた三英傑に学ぶのは、先の見えない時代を生きる私たちの、必ず大きな力となる。(編集部・野村昌二)
※AERA 2023年1月23日号より抜粋