城西大(2004年)は1918年創立の城西実務学校を起源として、1965年に元大蔵大臣の水田三喜男らが作った。
上武大(2009年)の起源は教育機関ではない。1950年設立の株式会社学文館から大学の歴史は始まった。同社の業務は教材の出版、販売である。1960年、学文館は高崎高等予備学校を開校した。1991年に学文館高等予備学校に改称したが、1995年に募集停止となる。一方、上武大が開学したのは1968年のことだ。
創価大(2015年)は1971年、創価学会名誉会長の池田大作氏らによって開学された。
平成以降に箱根駅伝にデビューした大学は10校ある(中央学院大、関東学院大、帝京大、平成国際大、国学院大、城西大、上武大、創価大、東京国際大、駿河台大)。
このうち、上武大、東京国際大、駿河台大の3校が予備校と深い縁があり、親和性が高かった。しかし、附属、系列高校の有力な選手を同じグループの大学に入学させるという構図を、予備校にまであてはめることはできない。駿台予備学校に通う、高校時代に陸上長距離選手だった浪人生を駿河台大が受け入れる、ということはあり得ないのである。
箱根駅伝出場校の起源を探るとおもしろい。大学のウェブサイトに掲載された沿革、起源などを眺めてみよう。
拓殖大はかつて「東洋協会大」「紅陵大」と名乗っていた、東洋大は「哲学館大」という校名だったことがある。大東文化大が「文政大」としてスタートした、東海大の起源は「航空科学専門学校」だった―――。大学はその時代にロマンを求めて、それを校名に託したのだろう。
箱根駅伝で必死に走る選手たちを見ながら、その大学の歴史を知るのはおもしろい。その時代の政治、経済、社会とのつながりに驚く。愉快なエピソードに微笑んでしまう。苦難な道を歩みつつそれを克服したストーリーに感動する。これも箱根駅伝の楽しみ方の一つである。
<出場年は年度ではなく、開催する1月の年で表記した>
(教育ジャーナリスト・小林哲夫)