ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「紅白歌合戦」について。
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年も明けて2週間以上が経つというのに、相変わらず去年の紅白に関するニュース記事が溢れています。飽きもせずに次から次へと同じようなことをつらつらと。「史上最低視聴率」に始まり、「つまらなかった」だの「失敗」だのと、仮に事実に基づくものだとしても完全に馬鹿のひとつ覚えです。しかし、こうした「年明け紅白批評」もまた、何十年にもわたって紅白歌合戦が築き上げてきた「様式美」のひとつなのかもしれません。
一昨年同様コロナの影響、そしてNHKホールの改修工事のため、だいぶ様変わりした此度の紅白でしたが、ひとたび観る側が「紅白」を意識すれば、それは紅白歌合戦以外の何ものでもなくなる。たとえ裏番組を観ている人や、テレビのない場所で過ごしている人たちにとっても、大晦日の夜帯というのは多かれ少なかれ「紅白をやっている時間」として認識されているわけで、もはや単純に視聴率だけを算出してどうこう言う次元でもないような気がします。
花見もお盆もクリスマスも、いわゆる風物詩なんてものは、どんなに形骸化されてもいつも決まった時間と場所にあることが最大の存在意義です。テレビ番組でその境地に達しているのは、「7時のニュース」と「紅白歌合戦」だけではないでしょうか。
変わらなければ「マンネリ」と言われ、変えたら変えたで「らしくない」と言われて久しい紅白ですが、前述通り「何をやっても紅白は紅白なんだ」というのを痛感させられたのが1987年の第38回でした。前年辺りから「視聴率の下落」が世の中的にも広く知られ始め、今なお続く「紅白離れ」や「紅白迷走」といった概念が、新聞・週刊誌上でお約束化し始めた頃。確かに、バブル景気に沸き立っていた日本社会において、ずっと「戦後復興のシンボル」的意味合いが強かった紅白のスタンスも大きく変容する時機だったのかもしれません。