■空爆の犠牲者に見た希望
犠牲者が収容されたメケレの病院を訪れると、凄惨な光景が広がっていた。
右手が吹き飛んだ女の子。顔が焼け焦げた女性――それを撮影した写真は「TIME」誌の「2021年のトップ写真100」に選ばれたのだが、千葉さんはそれとは別の、待合室のベンチに横たわる女性の写真を指さしながら「このシーンが、すごく印象深かった」と言う。
「このお母さんは足を骨折しているんですが、治療を受けながら赤ちゃんにおっぱいをあげている。それを職員みんなが手伝っている。その姿がとてもすてきだった」
千葉さんは病院を取材後、予定していたフライトがキャンセルになったことを知る。翌日以降の便もすべてなくなってしまった。
「困ったなあ、と思っているうちに、メケレから外に通じる主要ルートは全部、前線になってしまった。会社(AFP)からは、『脱出してくれ』って、連絡がくるんだけれど、もう、どうすんのって、感じで」
最後に望みを託したのはメケレに拠点を置く国連だった。車列を組んで走る国連のコンボイの後を追い、主要ルートを大きく迂回(うかい)し、メケレから脱出する方策を練った。
そこへ妙なうわさが伝わってきた。
「TPLFがメケレを奪還しに戻ってくると言うんです。それで、街が戦場になるかもしれないと思った難民が逃げ始めた。そうしたら、ほんとうにTPLFの兵士がいきなり街に戻ってきた」
■ニューヨーク・タイムズの凄腕写真家
6月28日。夕闇が迫るころ、突然、街は歓声に包まれた。TPLFの兵士が徒歩やバスで次々とメケレに入ってくる。
「もう、みんな大喜びで、お祭り騒ぎだった。帰ってきた兵士に拍手して」
千葉さんの作品には、州都に凱旋(がいせん)し、誇らしげにポーズをとるTPLFの兵士の姿が写っている。
幸いなことに、メケレは戦場にならなかった。
「不思議なことに、TPLFがメケレに入ってくる前、いつの間にかエチオピア軍の兵士の姿がすべての場所から消えていたんです」
この日、エチオピア政府は「TPLFを追放後、ティグレ州に暫定的な地方政権を樹立し、同政権の要請を受けて停戦を宣言した」と発表した。
ちなみに当時、メケレには千葉さん以外の報道陣も滞在していた。ニューヨーク・タイムズから派遣されたフィンバー・オライリーもその一人。