「彼は凄腕のフォトジャーナリストで、空爆のとき、病院にいなかったんですよ。後で聞くと、やっぱり、前線に行っていた。ちらっと見せてもらったんですが、エチオピア軍兵士の死体がゴロゴロしているところとか、鉄条網の中に閉じ込められた捕虜とか、すごい写真を撮っていた。さすが、ニューヨーク・タイムズ、と思いましたね。残念だったけれど、自分はスタッフフォトグラファーなので、メケレからはほとんど出られず、どうしようもなかった」
■ライバルに助けられる
そんな気持ちで国連のコンボイの出発を待っていた7月2日、いきなりフィンバーが走り込んでくると、こう言った。
「もう、探したぞ。お前、早く写真を撮りに行け! 捕虜たちがみんなやって来たぞ!」
千葉さんは最初、フィンバーが何を言っているのか、分からなかった。
「TPLFに捕らえられたエチオピア軍の捕虜が全員、前線からメケレまで歩いてくる、と言うんです。『刑務所に向かっているから、とりあえず、そっちの方に行け!』と」
言われたほうへ向かうと、群集に取り囲まれながら歩くすさまじい数の捕虜たちが目に飛び込んできた。TPLFによると、その数は7000人以上。千葉さんは途中でオートバイをつかまえ、捕虜の列の先頭に急いだ。
「それで、捕虜の写真が撮れたんですよ。ほんとうにフィンバーには助けられた。それで、彼に言ったんです。『ほんとうにありがとう。ライバル心を剥き出しにして、秘密にするやつが多いのに、なんで、特ダネを教えてくれたんだ?』。そうしたら、『俺たちはそのためにここにいるんだろ』って。やっぱり、できるやつは違うな、と思いましたね」
この内戦を写した千葉さんの作品「アライバル」は、2月2日から東京・丸の内の富士フイルムイメージングプラザ東京に展示される。千葉さんはタイトルを「アライバル(到着)」とした理由をこう語った。
「結局、自分はメケレから出られなくて、空爆の犠牲者やTPLFの兵士、エチオピア軍の捕虜たちが街に『到着』したところを撮影した。スーダンの難民キャンプも訪れましたけれど、そこへも毎日、ティグレの難民が国境を越えてやって来た。それを撮った自分からすれば、受け身な感じがしたんです。こちらが頑張って撮りに行ったのではなくて、向こうからどんどんやって来た」