
しかも「肥薩線の八代-人吉間は18年度で5億7300万円の営業赤字」(JR九州)。それだけに「JRの本音は廃線。小型バスによる部分的な代行運行」と、ある鉄道雑誌記者は言い切る。
人吉市は温泉地としても有名だ。本格的な温泉旅館は、1910年に開業した翠嵐楼(すいらんろう)が最初とされる。しかし同館もまた、被害が大きく、現在も休業している。
「浸水は高さ4・8メートル。2階にまで及び、ここまで来るのか?とがくぜんとしました。というのは、1965年7月3日の水害の教訓で、1983年に建物を新築した際に地盤を2・5メートルかさ上げしていたからです」(川野精一社長)
現在、建築物の強度を支える骨組みの部分をそのままにして、内部をリフォームしている。2階の100畳大広間はオープンカウンター付きのダイニングに生まれ変わる。
「創業以来、湧き続けている地階の『御影の湯』も内装工事中です。12月中の再開を目指していますので、ぜひお越しください」(同)。
翠嵐楼から球磨川沿いに4キロほど下った球磨村渡地区。70人の入居者中、14人の高齢者が犠牲になった養護老人ホーム「千寿園」が、川から300メートルほど離れた渡小学校の北側にあったが、昨年9月に解体されて今は雑草だらけの更地になっていた。
「被災地の最大の問題は、過疎化に拍車がかかったこと」
こう話すのは地元紙の記者だ。
「特に球磨村は、2019年の人口は3648人でしたが、水害直後の21年10月は3103人と一気に減り、22年7月現在は3055人。3千人を切るのは時間の問題で、自治体としての存続も厳しい。同様に、漸減傾向にある人吉市も流出が止まりません。水害前の20年6月に3万1932人でしたが、先月末時点で3万904人です。だからこそ、観光や地場産業の復興が急務なんです」(同記者)
明るい話題もある。100年以上の歴史を誇る球磨川の川下りの再開だ。