インタビューに答える日本維新の会の石原慎太郎共同代表(当時)/2013年4月4日、東京・永田町の衆院議員会館
インタビューに答える日本維新の会の石原慎太郎共同代表(当時)/2013年4月4日、東京・永田町の衆院議員会館
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 東京都知事などを務めた作家、石原慎太郎氏が亡くなった。享年89。「慎太郎ウォッチャー」の朝日新聞記者がその人物像に迫る。AERA 2022年2月14日号の記事を紹介する。

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「(中国は)まあ民度が低いんだから、しょうがないね、これは」「(中国政府は)いい意味の弾圧をしたらいい」

 東京都知事時代の石原慎太郎氏が2004年8月、知事定例会見でそんな「慎太郎節」を炸裂(さくれつ)させたことがある。サッカー・アジア杯が中国で開かれ、中国人観客が暴走。日中関係が緊迫していたときだった。

■最後にニヤリと笑う

 その夜、元自民党幹事長の野中広務氏や、盟友である亀井静香氏と会食した石原氏は会見のファイティングポーズとは打って変わってこう話したそうだ。

「おれ、テレビで勇ましく言ってきたけれど、やっぱり中国との関係を考えると、この局面を悪くしたら心配だよ。あんた(野中氏)、向こうと親しいんだから、おかしなことにならないよう連絡しなさいよ。今からでも間に合うじゃないか」

 これは後日、記者が野中氏から聞いた話で、同氏は「この話からも分かるように、バランス感覚を持った人なんですよ」と石原氏をかばったのだが、都幹部職員に会食での石原氏の様子をあてると受け止めは違った。

「弟と一緒で銀幕のスターなんですよ」。どんなに派手なアクションをしても、アップの場面になると衣装は乱れておらず、汚れ一つない。最後にニヤリと笑う。「慎太郎スマイルにみんなやられちゃう。騒動の後始末は我々任せなんだから職員はたいへんなんですよ」

 二項対立で敵をつくり、強い指導者像と独創性を印象づける。社会に漂うモヤモヤ感や、人々の心の奥底に潜む反感憎悪を巧みにすくいとり、勇ましい言葉で発信する。そして「国民」は留飲を下げる──。鋭い嗅覚(きゅうかく)と人心収攬(しゅうらん)で作家、政治家として注目を浴び続けた。

 古くはタカ派政治集団「青嵐会」の幹事長。尖閣諸島への上陸行動(自身は船からおりず)と延長線上の都による尖閣購入発言。『「NO」と言える日本』では米国にモノ言う強い政治家の大看板を手にし、都の防災訓練で銀座に自衛隊の装甲車を走らせもした。

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