とくに決定的な改変は、主人公が国際演劇祭に出向き、演出家として日韓中フィリピンの役者とともに共同で舞台をつくるという設定が導入されていることである。一つの劇を演じながら言葉は通じない。それはむろん不実を隠しながら維持した夫婦関係の隠喩だ。だがそれは裏返せば、言葉など通じなくても一緒に劇は作れるという希望でもある。このような仕掛けによって、映画は実に多視点的な作品になっている。

 村上版の男性は最後まで静かに思い出を語るだけだが、濱口版では泣きながら妻への怒りを叫ぶ。そしてその感情の爆発こそが、聞き手の女性に新たな人生を開くことになる。

 私たちはみな孤独で傷ついているけれど、同時にその傷を通して繋(つな)がることができる。それはまさに現代世界が必要としている希望の形である。日本からこのような普遍的な作品が現れたことを喜びたい。

東浩紀(あずま・ひろき)/1971年、東京都生まれ。批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役。東京大学大学院博士課程修了。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。93年に批評家としてデビュー、東京工業大学特任教授、早稲田大学教授など歴任のうえ現職。著書に『動物化するポストモダン』『一般意志2・0』『観光客の哲学』など多数

AERA 2022年2月21日号

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