東浩紀/批評家・作家。株式会社ゲンロン取締役
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 批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。

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 遅まきながら濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」を観(み)た。仏カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞し、米アカデミー賞で日本映画初の作品賞にノミネートされた話題の作品である。

 大変な感銘を受けたが、同作については多くの評が出ている。ここでは原作との比較から見た魅力を記した。

 同作の原作は村上春樹の同名短編である。妻に先立たれた50絡みの男性俳優が、亡き妻の浮気の謎について一世代下の女性と語りあう。そして一種の許しに至るという物語だ。

 村上春樹は現代日本を代表する小説家である。当然の評価だが、他方で彼はきわめて男性的な作家でもある。村上文学に登場する女性は、男性に欲望や気づきを与える存在としてのみ描かれ、単体では生彩に欠けることが多い。原作も同じ欠陥を抱えている。一言でいえば、結局は主人公の孤独なダンディズムで終わる(とも読める)話になっているのだ。

 けれども濱口は、多くの設定を加えることでその罠(わな)を巧みに回避している。映画版では妻の死因も浮気相手の年齢も変わっている。聞き手となる若い女性の内向的性格も背景が一段と深められている。そのことで物語が男性一人のものではなくなっている。

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