首相にズバッと切り込んできたジャーナリスト、田原総一朗氏。週刊朝日100周年の記念企画として田中角栄氏以降、秘話を交えて振り返り、“独断”と“偏見”で歴代首相を採点してもらう。「宰相の『通信簿』」第八回は、橋本龍太郎氏。政策通にしてバランス感覚あり、論争好きの首相が生放送で見せた困惑の表情とは。失脚につながった内幕を明かす。(一部敬称略)
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村山富市内閣がつぶれて、橋本龍太郎が総理大臣になった。ただし、村山内閣当時の自民党総裁は河野洋平だったのね。本来ならば、そのまま河野がなるはずだけど、そうはならなかった。
なぜか。自民党内で「河野はハト派色が強すぎる。とくに韓国に対して非常に甘すぎる」などと批判があった。結局、総裁が交代して橋本になるわけね。
橋本は総理になってまず、「地方分権」を進めようとする。つまり、日本の中央集権の構造を改革しようとした。国家公務員の仕事を減らして、それを地方公務員のもとへ移していくものだった。
その次には、国家公務員の人員を削減する。彼らが持っていた予算もね、減らしていく。要するに、近年さかんに言われるようになった「地方創生」をやろうとした。
そうしたら何と、橋本のこうした「行政改革」に対して、国家公務員が“大反乱”を起こした。大反乱とは、省庁の数を半分にすることだった。省庁を半減しても、公務員の数を“スリム化”するわけでなく、そのまま統合されて、例えば1省庁が2倍になるわけだ。
こうなると、政治家が省庁に関与しにくくなる。つまり、介入できなくしたのね。僕はこうした事情を、橋本の首相秘書官だった江田憲司から詳しく聞いた。けれども、橋本に対する国家公務員の反乱について、野党もマスコミもみんな沈黙した。江田は「とんでもないことだ。残念極まりない」と怒っていた。
もう一つ、橋本内閣に大きな逆風となったのは、消費税の引き上げに伴う経済の悪化だった。