翌日の新聞が、こうした橋本の様子などを受けて“迷走”といったように大々的に報じた。その後、橋本は減税をするんだけども、世論が橋本から離れていった。結局、選挙で負けて失脚する。
もともと橋本とは、総理になる前から知り合いだった。彼の面白いのは、僕が「こうやるべきだ」などと言うとね、それに対してちゃんと反論するのね。
宮沢喜一をはじめ、歴代総理はこちらが提言すると、あまり反論しなかった。橋本の場合は、珍しくね、反論する男だった。そこは面白いところで、だからこそ彼をもっと評価したほうがいい。ちゃんと言いたいことを言う政治家だった。
彼の思いには、やっぱり「民主主義は論争しなければいけない」というのがあったんだろうね。首相になってもね。ほかの首相たちは、あまり論争しないよね。
首相にタイプがあるとすれば、「言うことを聞く首相」と「決めつける首相」。言ってみれば、田中角栄は一種の、決めつけるタイプの首相だった。小泉純一郎とか、安倍晋三とかもね。
その二つのタイプとも違っていたのが橋本で、「論争をすべきだ」と思っていたんだろうな。これは珍しい首相です。
そもそも、橋本がやろうとした地方創生とは、中央集権の時代はもう終わりだという認識に立っていた。東京一極集中が進み、地方の人口が減ってきてしまった。企業もどんどん首都圏に進出していく。これでは、日本の将来はどうしようもないと。
こうした橋本の主張は、非常に正しかった。あの当時、地方創生を進めていれば、今の日本は大きく変わっていたと思う。
その意味でも、橋本の失脚は残念だった。結果的に僕は、テレビ番組でのやりとりで海部俊樹、宮沢、橋本と3人の首相を失脚させてしまった。
今でこそ、地方創生という言葉が普通に使われるようになったが、橋本内閣の当時は、なかなか理解されにくかった。政治家の多くも、そんな発想を持っていなかったからね。
だから結局、橋本の掲げた地方創生は、歴史の中で埋もれてしまった。残念ですね。