一連の連載で触れてきたが、中曽根康弘内閣の時代というのは、大平正芳が掲げた構想などを実行して、日本が世界でも著しい経済発展を遂げ、輝いた時代だった。社会は“一億総中流”とも呼ばれた。
しかしその後、バブル経済がはじけた。日本の産業は、米国の3周遅れだと指摘する専門家もいたわけね。こうした日本を復活させるにはやはり、地方創生ということが大事だった。この課題に橋本が向き合った。ところが、公務員が大反乱を起こしたわけね。地方分権という橋本の志は、日本の歴史から完全に埋没してしまった。
◆国際情勢詳しくバランス感覚も
橋本は、国際情勢にも非常に詳しかった。英語は相当、流暢に話していたんじゃないかな。国際感覚が非常にあったと思う。
「竹下派七奉行」の一人でもあったけど、橋本は非常にバランス感覚がある人物だとされた。竹下派オーナーの竹下登も、将来は総理になると思っていたはずです。
政権を運営するには、ハト派色が強すぎても、もちろんタカ派すぎても、リスクになってしまう。
冒頭のように、直前の村山内閣時の自民党総裁は河野だったわけだからね。僕も当然、総裁の河野が総理になると思っていたら、まさかの“ハシリュウ”で驚いた。河野では、あまりにもハト派すぎる点が自民党内で不安視された。下手をすると、野党に政権を取られてしまうんじゃないか、とね。
自民党は、権力を維持しなきゃいけないという思いをみんなが持っている。誰がリーダーならば、権力を維持できるのかと。だから、自民党の歴代総理というのは私利私欲がない。橋本内閣もそんな流れの中で生まれたものだった。
たしかに橋本は論争好きだったので、プライドも高そうに見られたかもしれない。敵も多かったかもしれないが、自民党にとっては、今の体制をどうすれば続けられるかという観点が大事だったんだね。
ちなみに、首相になれなかった河野だけど、その父・一郎も皮肉にも、池田勇人の後継候補と目されながら首相になれなかった。息子・太郎は、昨年の総裁選に出たものの、敗れてしまった。3代にわたって要職を歴任し、首相候補でもあった河野一家。それだけに、太郎が抱える悩みは非常に大きいのかもしれない。
(構成/週刊朝日編集部)
*次回は小渕恵三・森喜朗の予定です
※週刊朝日 2022年2月25日号