五輪初出場にして銀メダルという快挙を成し遂げたのが、18歳の鍵山優真だ。6日のフィギュアスケート男子・団体戦のフリーの演技では、これまで試合で決めたことがなかった4回転ループを決めるなど、五輪期間中にも成長を見せた。
父でコーチの正和さんは1992年アルベールビル大会、94年リレハンメル大会と2度の五輪に出場したフィギュアスケーターで、当時はまだ誰も試合で跳んでいなかった4回転ジャンプにいち早く挑んだことでも知られる。幼少期に両親が離婚し、男手一つで育てられた鍵山。父と二人で勝ち取ったメダルについて、試合後こう語った。
「オリンピックを目指す数年間、(父と)一緒に頑張ってきて一緒にうれしいことも苦しいことも過ごしてきたので、それを乗り越えて自分らしい演技ができたことはすごくよかったと思っていますし、成長した自分を見せることができて本当によかったと思っています」
ジュニア時代の鍵山は、ラストシーズンで優勝するまで一度も全日本ジュニア選手権の表彰台に上がることはなく、同世代の選手の中でもそれほど目立つ存在ではなかった。
横浜市内の中学校で鍵山が2年生の時に担任を務めた羽生実さんが語る。
「あまり目立つタイプではないけど、真面目で良い子でした。3年生の時に大会で良い結果を出して学校で表彰しようとしたら、『表彰はいいです、大丈夫です』と断ったと聞いています。シャイな一面があるんですね。朝5時に起きて早朝練習をしてから登校していたそうで、かなり疲れていたのか休み時間にグッタリしていたこともありました。放課後もスケートリンクに行く。本当にハードな練習をしていた印象が強いです」
父から徹底的にスケートの基礎をたたきこまれた鍵山は、一気に頭角を現す。高校1年で初めて全日本選手権の表彰台に上がると、ユースオリンピックで金メダルを獲得。昨季シニアに上がってからは、グランプリシリーズでシーズンをまたぎ3連勝。勢いに乗り五輪代表の座を射止めた。
表現力を高める努力も怠らなかった。現地で解説者として見守ったプロフィギュアスケーターの鈴木明子さんがこう語る。
「鍵山選手から連絡があり、基本のスケーティングと表現力について少しだけお力添えをしたことがありました。鍵山選手のプログラムは、振付師のローリー・ニコルさんと、コーチでもあるお父さまのお二方でしっかりとしたものができあがっています。私は本当に微力ながらアドバイスをしたんです。レッスン後にも鍵山選手は、熱心にメモを取られていて、次お会いする時までブラッシュアップしてくる。本当に努力を積み重ねていく方だなと感じています」