大学球界で屈指のレベルを誇る「東都大学野球連盟」に今春、63年ぶりとなる新チームが参戦する。野球では無名に近いチームを率いるのは、甲子園の「松井秀喜への5敬遠」でマウンドに立っていた河野和洋氏(47)だ。「戦国東都」とも評されるほどの厳しい戦いが待つリーグに、なぜ挑む決断をしたのか。河野氏に思いを聞いた。
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千葉県市原市にある帝京平成大学ちはら台キャンパス。人工芝が美しい、広々とした野球場に河野氏はいた。
「(スイングが)負けとるやないか!」
新型コロナウイルス感染対策のためマスクを着用し、バックネット裏から距離をとって打撃練習中の選手たちにはっぱをかけている。
高校野球ファンには紹介するまでもないが、いまだ語り継がれる1992年夏の甲子園2回戦、星稜(石川)対明徳義塾(高知)。明徳義塾は勝ちはしたものの、怪物と騒がれていた松井秀喜氏を5打席続けて敬遠した采配が激しく批判された。そのマウンドに立っていたのが河野氏である。帝京平成大の部員たちは無論、生まれてもいないころの話だ。
「(インターネットを見ると)あの時の動画がありますから、選手たちも5敬遠のことは知っているんじゃないですかね」と河野氏は笑う。
千葉県大学野球連盟に所属していた帝京平成大。100人ほどの部員全員が実技試験、いわゆる「セレクション」を受けて入学しているが、甲子園の土を踏んだ部員はわずか。寮がなく、アルバイトをしている選手も少なくない。昨秋、2部リーグで初優勝を果たし着実にレベルアップはしているが、まだまだ発展途上のチームである。
今春から参戦する東都大学野球リーグは1~3部が各6校、4部が3校の21校で運営されてきた。帝京平成大の加盟はリーグとして実に63年ぶりの新規参入となる。
高校卒業後、東都リーグの専修大で強打の野手として活躍し、1、2部の両方を経験した河野氏。大学同期には元広島の黒田博樹氏がいた。
「1、2部の力の差はほとんどありません。全国から優秀な選手が集まってくる大学ばかりで、毎試合が全国大会のようでした。まさに戦国東都でしたよ」