社会人野球や、自らも目指したプロ野球(NPB)に進む選手を育てることも大きな目標だ。「勝つ」と「育てる」の両にらみでグラウンドに立つ。
選手たちには「25歳になったときに野球を職業にできているか。現状維持では上で野球はできない。現状をぶち抜くために、トライする気持ちを強く持ってほしい」と精神面を含めた成長を説く。一方で、「日本式の練習はロスだらけ」とアメリカの独立リーグ時代に学んだ経験を生かし、無駄な時間を生まない工夫をしている。日本では当たり前な守備位置についてのシートノックも、「個人単位で見ればボールが来るのを待っている時間が長い」と、ほとんどやらないそうだ。
「東都で上に行くことが簡単じゃないことはわかっています。だからこそ、楽しみですよ」
選んだ道の先に、どんな世界が待っているか。あの夏以来、河野氏にまとわりつく「5敬遠」の枕ことばが、「名将」に置き換えられる日がいつか来るかもしれない。 帝京平成大野球部と河野氏の、プレイボールの春はもうすぐやってくる。(AERA dot.編集部・國府田英之)