――今回の代役で「松本人志のモノマネ=JP」というイメージが定着したように感じます。
そもそも僕は、昔から松本さんの大ファンでした。小学生の時は毎週「ごっつええ感じ」を楽しみにみていましたし、関西出身ということもあり、もう「松本人志」がDNAに刻まれているような子供でした。それと同時にモノマネも大好きで、農業高校時代には豚とか牛の鳴き声とか、学校の先生のモノマネなどを友人に見せたりもしていました。松本さんのモノマネに初めて挑戦したのは20歳の時。当時、僕はトラック運転手の仕事をしていたんですが、ある時、運転中にラジオから松本さんが作詞した「チキンライス」が流れてきたんです。その時に、何気なく松本さんの声マネで「きょ~うは~クリスマス♪」で歌ってみたら「ん?今のちょっと似てなかった?」ってなって。気のせいかもしれないと思って「街はにぎやか~お祭りさわ~ぎ♪」ってもう一度歌ってみたら「やっぱめっちゃ似てるやん」ってなって。その頃、モノマネでプロになるために上京の資金を貯めている時でしたし「松本さんのモノマネする人ってほとんどいないからこれはいけるかもしれない」、そんな気持ちになったのを覚えています。
――そもそも、なぜプロのモノマネ芸人を目指そうと思ったのでしょうか。
大きなきっかけとなったのは「いじめ」です。あまり暗い感じには捉えないでほしいんですが、高校時代にいじられていた時期がありまして。同級生に暴力をふるわれたり、からかわれたりなど、いろいろです。ある時、いじめっ子にボクがモノマネ好きだというのがバレた瞬間があって、モノマネを目の前で披露しなきゃいけなくなったんです。最悪の展開で「嫌だな」と思いつつ「おっせぇよマジで!」って当時流行っていたドラマ「池袋ウエストゲートパーク」の長瀬智也さんのモノマネをやったんです。すると、いじめっ子がめちゃくちゃ笑ってくれて。「お前めっちゃおもろいな、すごいやん」って。そこから一切暴力的ないじめはなくなりました。その時に思ったんです。モノマネってすごいなと。いじめもなくなるし、こんなに喜んでもらえる。これを仕事にできたら最高やなって。「芸は身を助けるし、芸は人を生かしてくれる」。あの時の体験がなければ、プロを目指すなんて思ってなかったと思います。