■アメフト出身のWWEレスナー、ゴールドバーグ、レインズ

 米WWEにはアメフト最高峰のNFL出身者が多くいる。“野獣”ブロック・レスナーはミネソタ大時代からレスリングの名選手として知られ、NCAAディビジョン1・オールアメリカンに2度選ばれた。04年にNFL挑戦のためWWEを退団、トライアウトを経てミネソタ・バイキングスと契約した。また“超人類”ビル・ゴールドバーグは90年ドラフト11巡目でロサンゼルス・ラムズから指名された。ケガでプレーできなかったが、その後アトランタ・ファルコンズでプレーし、拡張ドラフトでカロライナ・パンサーズから指名を受けている。

 ローマン・レインズはバイキングス、ジャクソンビル・ジャガーズに在籍。フロリダ州出身で、昨年4月に同州タンパで開催されたレッスルマニア37でユニバーサル王座防衛戦を行った。その他、キング・コービンは学生時代にアメフト、ボクシング、総合格闘技、柔術などで結果を残し、09年にインディアナポリス・コルツと契約、アリゾナ・カージナルスにも在籍した。モジョ・ローリーも大学時代に様々な賞を獲得し、09年にグリーンベイ・パッカーズ入団、カージナルスでもプレーしている。

 日本のアメフトでは健介オフィスに所属していた起田高志。大学からアメフトをプレー、社会人オービック・シーガルズで日本一も経験。また、中澤マイケルは東海大でプレーしただけでなく父・一成氏は同大監督を務めるなどアメフト一家として知られる。その他にも「ウルトラセブン」高杉正彦は日本大、大森隆男は城西大、中牧昭二は拓殖大のアメフト部OBだ。

■ラグビー日本代表の阿修羅・原、大学日本一のKENSO

 阿修羅・原とKENSOはラグビー界を代表する選手だった。

 原は東洋大、社会人・近鉄で活躍し、日本代表キャップ17を獲得。76年には日本人選手初の世界選抜メンバー入りを果たす。翌77年にラグビー選手を引退、同年に国際プロレス入りを表明した。天龍源一郎との『龍原砲』はプロレス史に残るタッグチームとしてインパクトを残した。

 KENSOは明治大2年からロックで活躍し、96年から2年連続で大学日本一。大学卒業後1度はサラリーマン生活を送るも、99年に新日本入団。在籍4年ほどだがアントニオ猪木への「明るい未来が見えません」発言でインパクトを残した。04年からは米WWEで妻・浩子とのコンビも注目を集めた。ハッスル、全日本などでファイト後、現在はテレビプロデューサー兼レスラーという立ち位置だ。

 その他にも近藤修司は東海大第一高(現・東海大静岡翔洋高)時代に花園出場経験があり、国際武道大まで打ち込んだ。田中将斗は和歌山東高で国体出場、社会人・住友金属でもプレーしていた。米国でのアメフト同様、日本ラグビー界には素晴らしい素材が多いようだ。

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