ブロック・レスナーは総合格闘技団体UFCでも活躍(写真/gettyimages)
ブロック・レスナーは総合格闘技団体UFCでも活躍(写真/gettyimages)
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 プロレス界で一流になるためには様々な要素があるが、やはり人並外れた肉体が必要だ。圧倒的な身体能力を備え、他競技でもその力を発揮していた選手も多い。パワー、スピードなどアスリートとしての“飛び抜けたフィジカル”を持ったプロレスラーを振り返ってみたい。

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■虎のマスクを被った佐山聡、三沢光晴

 プロレス界でも最高の身体能力を持つと言われるのが初代「タイガーマスク」だった佐山聡だ。小学校で柔道を始め、高校時代にレスリングで国体出場。75年に新日本プロレスに入門し、公称172cmと小柄ながら瞬発力などは当時から飛び抜けていた。練習熱心で打撃技にも早くから取り組み、自らのスタイルを確立。メキシコ遠征で頭角を表し、帰国後に「タイガーマスク」として大ブームを巻き起こした。期間は短かったが、当時の四次元殺法は今だ語られる伝説ムーブだ。

 2代目「タイガーマスク」の三沢光晴は中学では器械体操に没頭。公称185cmという大柄な体型ながら素早い動きや飛び技もこなせた理由の1つだ。高校ではレスリングで国体優勝するなどプロレスラーとしての素地を築き、81年に全日本プロレスに入門。「タイガーマスク」時代は初代との比較など苦悩もあったが、マスクを脱いでからも日本を代表するレスラーとして大活躍した。センスの塊のような男が09年の試合中に亡くなったのはいまだ信じ難いことだ。

■元巨人軍のジャイアント馬場、甲子園全国制覇の田村ハヤト

 他競技からの転身組で最大の成功を収めたのは元巨人軍投手のジャイアント馬場。公称209cm、体重135kgの日本プロレス界最大の身体を生かして多くのタイトルを奪取した。巨人には5年間在籍、1軍通算成績は3試合の登板で0勝1敗、防御率1.29。60年の大洋キャンプにテスト生として参加した際、風呂場で転倒したことが原因で野球選手を断念。力道山を訪ねて日本プロレスに入団したことが大レスラー誕生へとつながった。

 野球では田村ハヤトのインパクトも強烈だ。群馬・前橋育英高3年時、高校野球で全国制覇を達成している。外野手のレギュラーとして3回戦と決勝戦で本塁打を放った。卒業後は総合格闘技を学び、19年にJUST TAP OUTに入団。ZERO1参戦時は世界ヘビー級王座挑戦、火祭り出場など破格待遇を受けていた。21年途中からGLEATマットを主戦場とし、9月に同団体へ正式入団している。

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アメフト出身レスラーの並外れた身体能力