病院で治療を受ける芳家選手(画像=本人提供)
病院で治療を受ける芳家選手(画像=本人提供)

 日本勢が冬季五輪過去最高となる18個のメダルを獲得して幕を閉じた北京五輪。だが、日本代表に選ばれながらも、競技のスタート地点にすら立てなかった選手がいる。スノーボード北京五輪代表でスロープスタイル、ビッグエアに出場予定だった芳家里菜(22)だ。芳家は開会式前日の2月3日に現地で練習中に転倒。脊椎損傷という大けがを負い、欠場を余儀なくされた。北京五輪で使用された固い「人工雪」の影響も取り沙汰された。幸いにも体にまひは残らず、北京で手術を終え、2月中旬に日本へ帰国した。転倒してケガをした瞬間の光景と、復帰への思いを芳家に聞いた。

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 愛知県一宮市出身。スノーボードをはじめたきっかけは、父親の「家族で滑りたい」という願いからだった。とはいえ、父親はスノーボード未経験者。そこで、父親は「家族全員でレッスンを受けると高いから、子どもたちに教えてもらおう」と考え、娘2人を「スノーヴァ羽島」(2021年11月末閉館)で開かれていた「トレジャーキャンプ」というキッズレッスンに通わせた。芳家が小学校2年生の夏だった。

「月に2回、私にとっては習い事感覚で入ったキッズレッスンだったんです。でも、そこに来る子はみんな大会を目指すような“ガチ”のレッスンでした」

 父親の思いつきで始めたスノーボード。平凡だった少女は、キッズレッスンを通じて次第にオリンピアンへの憧れを抱く。

 転機は、トリノ五輪のスノーボードハーフパイプで、当時の日本人最高記録(9位)を保持していた松井(旧姓中島)志保選手との出会いだった。レッスンのゲストコーチとして、松井選手に練習をみてもらう機会に恵まれたのだ。09年1月、岐阜県の「高鷲スノーパーク」で開催されたワールドカップに出場する松井選手を応援しようと、レッスンの仲間と一緒に見に行った。

「滑っている時の志保先生がめっちゃかっこよくて、私もこの舞台に立ちたいと思うようになったんです」

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北京五輪の人工雪はまるで「コンクリート」