首相にズバッと切り込んできたジャーナリスト、田原総一朗氏の「宰相の『通信簿』」は今回、鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦の3氏。政権交代を果たしたものの、民主党政権はわずか3年余りだった。教訓も多い、その遺産は受け継がれるか。(一部敬称略)
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民主党が2009年8月の衆院選で勝利し、9月に鳩山由紀夫が首相となった。ついに民主党が政権交代を実現した。
ところが鳩山は、(衆院選直前に)沖縄の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設先について「最低でも県外」と言った。つまり、日米地位協定で決まった辺野古(名護市)を否定した。沖縄で反対が多いから、辺野古に決めたのを「ノー」と言えると思ったんだよね。
鳩山は、日米地位協定をよく理解していなかった。米国が辺野古と決めた以上、日本政府にはそれを撤回させる権利はない。その“公約”が果たせないことで、鳩山は辞任しちゃった。
ノーと言える権利が日本にないことがわかったとしても、日米関係をどういうようにすればいいかということをもっと論議してほしかった。日米同盟はどうしても“対米従属”に映るから“対等”に近い形にするために、取り組んでもらいたかった。
鳩山は人柄はいいけれども、その辺のこだわりがあまりなくて辞めちゃった。政治家として弱い部分だよね。
かつて田中角栄にこんなふうに言われたそうだ。「お前はお坊ちゃんだから、簡単に権力が握れる。でも握ったらどうするか、そのことをしっかり考えろ」と。
だから鳩山は、結果的にはっきり言いすぎて、失言が多いのかもしれないね。
僕は当時、移設先問題で悩んでいた鳩山に対し、その道に精通する外交専門家を紹介した。レクチャーしてもらうようにと。最終的には、鳩山の周辺がアドバイスをあまり聞き入れなかったようだ。
そして、菅直人が首相に就いた。菅内閣だった11年3月、あの東日本大震災が発生した。東京電力の福島第一原発が大事故を起こした。この対応の悪さが引き金となって、菅は辞めざるを得なかった。