「もうこれ以上、施設は無理と言っているようでした」
実は、マリさんの母が施設を替わるのは一度ではなかった。
母が認知症を発症したのは2008年。その5年後に施設に入った。最初は介護付き有料老人ホームだったが、クーリングオフが有効な期間(3カ月)ギリギリで退去した。
「完全に私の知識不足でした。施設に入ればとりあえず安泰と思っていたのですが、集団的なケアに失望しました。今でこそ高齢者施設の状況がどの程度なのかとは理解していますが、当時は知らなかったのでショックでした。こんなところにまだ元気だった母を預けられない、と」
その後の3年間はマリさんが同居して在宅介護をした。ところが、実家の売却を機に母についた第三者の後見人(司法書士)から経済的な見直しの必要があると指摘された。このまま在宅介護を継続すれば「母の預貯金がなくなる」と言われ、母をグループホームに入れた。
「でも、身体介助を必要とする母にはグループホームは合いませんでした。事前に担当のケアマネジャーから『重篤な状態の人もケア可能』と言われていたのですが、入所後『こんな状態の人はうちでは面倒見られない。腰を痛めてしまう。困るのよね』と職員の一人から昼食中に皆がいる前で言われました」
そのころ、自宅近くに新規オープンする冒頭の特養が入所者を募集していたのを知り、グループホームは1年足らずで退所した。「渡りに船のように思ったけど、安易だったのかもしれない」と振り返る。
「施設を移るごとに、いろいろと確認していましたが、入居してからわかることも多いです。良い施設に入れたら別ですが、入った後もいろんなことがあるということを知っておくべきだと思います」
『介護施設で死ぬということ』の著者で「元気がでる介護研究所」代表の高口光子さんはこう話す。
「特養は『介護保険法』によって運営されています。最後まで見届けるというのは社会的使命でもあります。それを重篤な状態になったからといって出ていけとはあまりにもひどい話です」