
■高級中華から町中華の店主へ… 「バズ」を生んだ新メニュー
東武伊勢崎線の加須駅から徒歩5分。赤いテントが目印の一軒の町中華がある。「かし亀」だ。老舗の町中華だが、現店主である駒剛行さんの祖父・亀吉さんがせんべい屋として立ち上げたのが店の始まりで、「亀」吉さんが「菓子」を売る店ということで「かし亀(=菓子亀)」と名付けられた。
せんべい屋として営業をしていたが、戦争でせんべいを焼く機械を没収されてしまう。その後、うちわとカレンダーを売る店に転業したが続かず、喫茶店に転業してしばらく店を続けていた。近くに映画館やスーパーマーケットがあり、人通りの多かったため店は繁盛したのだ。その後、食事も出せる店にしたいと中華料理屋を始め、以来60年続く老舗になっている。現店主の駒さんは祖母、父に次ぐ3代目だ。

駒さんは、高校卒業後、武蔵野調理師専門学校に入学する。当時からいずれ「かし亀」を継ぐことになると思い、料理を勉強した。卒業後は都内の有名中華料理店に就職し、5年勤めた。働いている間には料理長が4人変わったが、料理長にはそれぞれのやり方があり、様々な技法を身に着けることができ大変勉強になったという。
その後、埼玉・熊谷の中華料理店に移り、各地の有名な中華を食べ歩くようになる。特に東京・池袋にある四川料理の「知音食堂」には衝撃を受けた。日本に合わせた味を作るのではなく、四川そのままの容赦ない辛さにしびれた。これからの時代はこういった振り切った味の中華の方がいいのではないか。そう思うようになった。
両親も高齢になってきたところで実家の「かし亀」に戻り、手伝い始める。32歳の頃だった。東京の名店から熊谷、加須と移ったので、客数も少なくのんびりとした時間の流れに驚いた。当時の営業時間は午後7時までで、お酒も出していなかったという。

店が暇でこのままではまずいと考えた駒さんは、営業時間を午後10時まで延長し、お酒を提供し始めた。昼のメニューと共に材料のロスが出ないように工夫しながらおつまみを充実させ、黒板には限定メニューを書いた。はじめは加須の近隣のお客さんから始まり、近くの役所で働く人からも予約が入るようになってきた。